上巻立ち読み

訳者解説 「ウィリアム・モリスの幻の名作」

 本書は、ウィリアム・モリス(一八三四−九六)の散文作品“The Water of the Wonderous Isles”(一八九七)の全訳である。初版は、モリスが自ら設立した印刷工房ケルムスコット・プレスから一八九七年に出ている。この翻訳のための底本としては、一九九四年のテムズ・プレス版を用いた。
 作者ウィリアム・モリスには、職業人としての肩書きを与えることがきわめて難しい。もっともよく知られた業績は、一方で『地上楽園』(一八六八−七〇)、『シグルド王』(七六)などの長編詩、他方で家具、刺繍、壁紙、その他の装飾工芸品であるから、主たる活動の内容からすれば詩人・工芸家というのが一番近いのだろうが、翻訳家や社会思想家としての活躍も見逃すわけにはいかない。さらに、本作や「ウィリアム・モリス・コレクション」に収められたほかの作品のような散文ロマンスも手掛けている。彼を一言で言い表わすとしたら、「才人」という言葉がもっとも適当かもしれない。
 『不思議なみずうみの島々』は、出版年を見れば明らかなとおり、モリスの死後に出版されたものである。モリス自身は、この作品の第二部までの校正刷りを確認したところでこの世を去り、残りの部分は、すでに印刷に回っていた最終稿と草稿に基づいて再構成された。そのため、この物語が完成された作品としてモリスの代表作のなかに数えられることはほとんどなかった。だが、モリスの娘のメイ・モリスも指摘しているように、草稿自体の完成度も高く、すでにお読みいただいてお分かりのとおり、物語の流れも一貫しているため、読むに耐えるどころか、まさに幻の名作と言ってもいいほどの作品に仕上がっている。
 『不思議なみずうみの島々』は、まさにその名のとおり、不思議な作品である。物語展開も摩訶不思議なら、文学形式から言っても捕らえどころがない。作者モリスと同じように、あまりに多くの要素を有しているために、慣例的な認識の枠には納まりきらないのだ。たとえば、魔女、精霊、森、みずうみといった設定からすれば、一見おとぎ話風でもある。また、冒険の主役が女性であるとはいえ、主要な登場人物としての騎士と「探求」のモチーフを配した筋立ては、中世の騎士道物語を思わせる。また、五つ業の町における生活の描写などには、近代小説の影響も窺える。
 そしてまた、そのいずれの伝統とも相容れないのが、主人公バーダロンの描き方である。行き会う男たちをことごとく虜にするほどの並外れた美しさを有する反面、これほど始終腹を空かし、眠気に襲われる美女というのもあったものではない。独りで船旅をしているときの彼女は、大袈裟な言い方をすれば、寝ているか食べているかのいずれかである。つまり、美の女神と見まがうほどに美しく、水泳、駆け足、弓術、刺繍をはじめ、すべてのことにおいて抜群の才能を持ちながら、生物としての根源的な生を営む生身の人間なのだ。そう考えると、なにか作品全体が、幻想的でありながら肉感的な(おそらくはモリスの理想とおぼしき)美人を中心に置き、周りに森やみずうみや騎士を配した、ラファエル前派的な筆遣いの絵画のように思えてくる。
 さらに絵画の類比で言えば、物語設定や筋の流れに対称性が見られることも注目に値する。たとえば、アタヘイから始まった物語はアタヘイで終わり、森の家を離れて不思議の島々を巡ったバーダロンはまた同じ経路で森の家に帰ってくる。三人の騎士には、それぞれ自分たちを象徴する色の服をまとった恋人がいる、といった具合だ。物語のなかに対称的に配置されたこのような諸要素は、いわば中心に描かれたバーダロンを飾るモリス流の装飾模様のようなものだと考えることができるかもしれない。ただし、金の騎士、緑の騎士に対して、黒の従者とするなど、完全な対称性を避けるための工夫がなされているように見受けられる。同じ工夫は、物語の結末にも見られ、ジェラードの息子のロバートとオーリアは結婚するが、ジャイルズとアトラが結ばれることはない。もっともこれは、翻訳の手伝いをしてくれた弟子が指摘してくれたことで、むしろ完全な「めでたしめでたし」の展開にしなかったところにモリスの才能を感じるという。
 本作の翻訳は困難をきわめた。何しろ、古英語、中英語の語彙をふんだんに取り入れた擬古文で書かれているのである。解読の苦労もさることながら、まずはこの文体をどのような日本語に置き換えるかというところから頭を悩まさなくてはならなかった。私は、翻訳とは翻訳家の創作であるとか、翻訳は本質的に誤訳であるといった考え方が好きではない。原文を忠実に訳出できない翻訳家の自己弁護のように聞こえるからだ。たしかに、違う言語に置き換えるに際して誤差が生じるのは仕方がない。だが、翻訳家はできるかぎり丹念に原文を調べ、それが本来持っている雰囲気を忠実に伝えるための黒子に徹するべきだと私は思っている。しかしながら、本作の翻訳に際しては、そもそも古英語や中英語に相当する日本語の文体を操る自信もないし、また難解な英語ゆえにほとんど誰も読まなかったこの幻の名作を何とか平易な日本語で紹介したいとの思いから、あえて現代語で訳した。そういう意味で言えば、本書は、いままで私が手掛けた翻訳のなかでもっとも私の「創作」に近いかもしれない。

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