『ブリジット・ジョーンズ』とジェイン・オースティン
 新井潤美


 一九九六年にイギリスで出版されて英米でベストセラーとなり、一九九八年には日本語版もでた『ブリジット・ジョーンズの日記』が映画化され、ふたたび英米で話題となっている。(日本では秋に公開予定だそうだ。)原作者のヘレン・フィールディングが台本も手がけたこの映画は、『フォー・ウェディング』(一九九四年)や『ノッティングヒルの恋人』(一九九九年)などの人気映画をてがけたイギリスのプロダクション・チームによるもので、出演者も、ブリジットの恋人となるマーク・ダーシー役にコリン・ファース、ブリジットを弄ぶプレイボーイの悪役にヒュー・グラントと、なかなか興味深い作品だ。
 ひとつ意外なのは肝心の主役、ブリジットの配役で、テキサス出身の女優ルネー・ゼルウィガーが、一生懸命に体重を増やし、ブリティッシュ・イングリッシュを身につけて演じている。これほどまでにイギリス的な作品、そしてその「現代イギリス娘」的な主人公になぜわざわざ、テキサス出身の女優を採用するかについてはイギリスでも疑問や不満の声があがったらしい。
 そもそも テキサスというのは、イギリスからはもっとも遠いところ(地理的にではなく)であり、「非イギリス的なもの」の象徴のようなイメージがつきまとうところなのである。あのイギリスの人気作家グレアム・グリーンが酔っ払って行なった得意の悪ふざけの一つが「英国ーテキサス協会」の創立だったというのも、この組み合わせが滑稽なまでに相容れない、不調和なものだからなのだ(詳しくは、晶文社刊『投書狂 グレアム・グリーン』を参照されたし)。まさか関係者はグリーン的なユーモアをもって配役を決めたわけではないだろうが、それはともかく、映画版『ブリジット・ジョーンズ』も原作とその続篇同様、たいへんな人気を博しているようだ。
 『ブリジット・ジョーンズ』の人気の秘密はもちろん、主人公が三十代の独身キャリア・ウーマンで、仕事、恋愛、体重と健康管理、ファッション、そして結婚に悩むさまが、似たような境遇の独身女性の共感を呼ぶことにある。これはたとえばアメリカ でヒットしているテレビ番組が「アリー・マイ・ラブ」だったり、「セックス・アンド・シティ」といった、三十代独身女性の悲喜劇をテーマにしたものであるのと同じなのだが、『ブリジット・ジョーンズ』の場合は、さらに一つ違う要素がある。 シェイクスピアと並んで普遍的な人気を保つイギリスの「文学作家」ジェイン・オースティンへの言及である。
 『ブリジット・ジョーンズ』がイギリスの新聞『インデペンデント』に連載されていたのと同じ頃に、BBCによる、オースティンの『高慢と偏見』の新しいドラマ化が放映されていた。主人公エリザベスと結婚するダーシーを演じたコリン・ファースは、ダーシーの尊大で、初対面ではきわめて感じの悪い、嫌味な雰囲気をじつにうまく演じているが(彼は『恋するシェイクスピア』ではシェイクスピアのライバルの貴族を、これまた嫌味たっぷりに演じている)、そればかりでなく、いきなり池にとびこんで水泳をはじめ、肉体美をエリザベスに見せ付けるという、原作にはない演出によってイギリス中の女性を魅惑した。
 『ブリジット・ジョーンズ』がこの『高慢と偏見』のパロディでもあるのは、ブリジットが恋する相手が、ダーシーという名前であることからも明らかであり(これはイギリスでよくある名前というわけではない。「ダーシー」といえば『高慢と偏見』なのである)、さらにダーシーとブリジットが互いに抱く感情が、最初は最悪であること、ブリジットが、外見もよく愛想をふりまく色男に惑わされること、その色男が過去にダーシーに対してひどい仕打ちをしていたことなど、さまざまな類似点が見られる。
 そもそもオースティンの小説は、話のすじだけを見た場合、数人の男女がさまざまな誤解やすれ違いを経た後、最終的に理想の相手と結ばれるというものだ。話自体はよくできており、登場人物も立体的で魅力があるので、『ブリジット・ジョーンズ』に限らず、話の筋書きを借りたり、パロディにしたり、映画やドラマにするという試みは繰り返しされてきた。しかし、そのような翻案と原作の決定的な違いの一つは、やはりイギリスの階級へのこだわりがもたらすある種の「毒」の要素である。
 たとえば 『高慢と偏見』ではダーシーはたんに初対面の相手にはぶっきらぼうな態度を示す、人付き合いの下手な男性ではない。貴族ではないジェントルマン、いわゆるアッパー・ミドル・クラスに属する人物として、つねにその地位にこだわり、自分の付き合う相手を選ぶだけでなく、親友の相手をも彼にふさわしくないとして、二人の恋路を邪魔する人物なのである。しかもこれは「身分の違う恋」といったわかりやすいメロドラマ的要素でさえもなく、アッパー・ミドル・クラスの中でも、アッパーに近い人々とロウアーに近い人々の間の微妙な関係といった、きわめてイギリス的、ミドル・クラス的な要素なのだ。そしてこの「毒」の要素は、作者の辛らつで皮肉たっぷりのコメントというかたちで表現されることが多いため、映画やドラマではそれほど強調されることもなく、ましてや『ブリジット・ジョーンズ』などの翻案からは完全に省かれることになる。そしてこうして毒気を抜かれたオースティンの作品は誰でも安心して楽しめる娯楽として、大きな人気を得ることになるのである。

新井潤美(あらい・めぐみ)
1961年生まれ。中央大学法学部教授。著書に『階級にとりつかれた人びと』(中公新書)、『風俗喜劇の変容』(共著、中央大学出版部)など。最新の訳書は『投書狂 グレアム・グリーン』(晶文社)