古本屋雑記帖 第二回 気配を読む 内堀 弘


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 九月の、まだ残暑が厳しい午後。すずらん通りの東京堂書店で、平積みになっていた『植草甚一日記』を買った。晶文社創立45周年記念復刊植草甚一スクラップブックの一冊だ。
 「復刊」となっているように、この日記が最初に刊行されたのは一九八〇年。つまり、植草甚一が亡くなった翌年だった。その頃、植草の蔵書が古書業者の入札会で売り立てられて、あの歌集『感幻楽』(塚本邦雄・昭和44年刊)も出てきたのだった。
 「献呈植草甚一様 塚本邦雄」と献じられたその横に、全裸の若い男性の写真を一枚貼りつけている。この本が誠に濃い一冊だったというくだりは、この連載の前回分を読んでいただきたい。
 あれから二十五年が経って、この歌集はまた古書の入札会に戻ってきた。好きな古書と出会い、永く愛蔵しても、やがては手放すものだ。そんな一つのサイクルが終わったのだろうか。奇妙な偶然だが、ちょうど同じ頃に『植草甚一日記』も復刊され、書店に並びはじめたのだ。

 この日記の中身は一九七〇年の日々で、つまり歌集『感幻楽』が刊行になった翌年だ。

 それにしても、植草はあきれるほど本を買っている。たとえば、八月二十日を見ると(この日は高校一年生だった私の誕生日で、木曜日とある)「朝九時すぎに出発。イエナで注文した本10冊、バーゲン32冊を支払い。あとでまた30冊」とあって都合72冊。一週間前の木曜日はというと「三宿の江口書店へ行き竹内勝太郎全集一巻(2000円は安いので)他文庫をまぜて19冊。三軒茶屋に出て進省堂で2冊。近所を散歩、週刊誌の古本など12冊、単行本2冊」、来週の木曜日は「イエナで2冊、六本木の誠志堂で雑誌36冊、単行本6冊」。三回の木曜だけで約150冊。もちろん、木曜日にしか本を買わないわけではない。
 ちょっと散歩をすれば、読みたい本はこんなにある。それでも、好きで買った本は(それが古週刊誌でも)どの店で何冊買ったと克明に記録しているけれど、貰ったり贈られてきた本(献呈本)の記載はほとんどないのだ。そんな中に

11月16日(月) 三浦さん「ユリイカ」が出来たので来る。「群黎」を持参。

ph3 という一行があった。当時ユリイカの編集長だった三浦雅士が、自社(青土社)から出したばかりの佐佐木幸綱の第一歌集『群黎』を持ってきた、というのだ。定型文学などおよそ似合いそうもない植草が、貰った歌集の名前をわざわざあげている。
 こんな一行を読むと、この日、植草と三浦が談笑するその向こう側に、あの『感幻楽』の背は見えていたにちがいない、と、私は思うのだ。
 この『感幻楽』の中で、植草は何首かの作品に丸印をつけている。鉛筆でさらっとつけたものだが、しかし、毎日何十冊もの本を買い込みながら、それでもこの歌集に目を通していた。植草が選んだのは六首。これは立派な秀歌選だ。

母棄つる時機うしなひしかな かひこ十六本の足みなうごく
銀の串もて鮎つらぬきし若者のこころすなわちわれつらぬかむ
馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ
わが愛のかたへに立ちて馬の目のこほる紫水晶體
孔雀の屍はこび去られし檻の秋のここに流さざりしわが血あり
妹に問へばかわける初夜の伴侶甲蟲蒼くよろひて死せり

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 ところで、16日の月曜日にやって来た三浦さんは、次週の25日の水曜日にまたやって来る。この日は「晴れ」。たしか、私の通っていた高校は、水曜日は部活のため五時限で授業が終わった。それであの日の午後は図書館にいたのか。

 11月25日(水)晴 朝九時「ユリイカ」のカット出来る。三浦さんが十二時ころ来たとき、三島事件のニュースがTVで入る。それから寝た。やはりこの事件を考えはじめる。(中略)夕刊を買いに行き、三島の作家論をキリン堂で買う(二十冊以上あったが、翌日には二冊になっていた)

 この日の三島由紀夫の書斎にも、歌集『感幻楽』はあったはずなのだ。というのは、今年(二〇〇五年)の八月に出た『塚本邦雄の宇宙』という追悼集に、この歌集、つまり『感幻楽』の三島由紀夫旧蔵本に触れた文章がある。三島が丸印を付けたのは十三首。それが紹介されていた。
 塚本邦雄が三島に贈ったこの一冊は、今も遺っているらしい。「笛吹川芸術文庫所蔵」と、そこには書かれていた。

(この項続く)


内堀弘(うちぼり・ひろし)
1954年神戸生まれ。青山学院大学中退。古書店「石神井書林」経営。
著書に『石神井書林日録』(晶文社)、『ボン書店の幻――モダニ
ズム出版社の光と影』、共著に『日本のシュールレアリスム』など。
編著に『コレクション・日本シュールレアリスム7 北園克衛・レ
スプリヌーボーの実験』がある。現在、『i-feel』に「予感の本棚
――戦前の紀伊國屋書店」を連載中。