明川哲也


──日本の自殺率25.1、メキシコの自殺率3.1──。鬱からもっとも遠い国メキシコには、一体なにがあるのか? その秘密を探る壮大なファンタジー小説『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』が、各方面で話題を呼んでいる。著者は、朝日新聞ティーンズメールでおなじみのTETSUYAこと、明川哲也さん。作家として再スタートした彼が、執筆のきっかけとなったNYでの出来事、そして、本に込めたメッセージを明かします。

東京・リブロ東池袋店 2003年11月8日 トークショーより
構成:佐々木順子


■9.11が突きつけたもの

 9月11日。前日の雨が上がり空気が澄んで、きれいな青空でした。
 僕はNYに3年住んでいたのですが、最初ツインタワーまでは4キロ弱という距離のアパートに住んでいました。その日はマンハッタンからブルックリンに引っ越す予定で、トラックを待っていたんです。そしたら、「旅客機がぶつかったらしい」と道端で人々が騒いでいる。それで、エレベーターで50階まで上がりました。そして南の方を見た瞬間、2機目が激突、オレンジ色の火の手が上がりました。マンハッタンの南側半分は黒煙で真っ暗闇。双眼鏡で見たら、ビルから人がどんどん落ちています。
 こういうとき、人にはさまざまな反応があるんですね。使い捨てカメラを100個くらいゴミ袋に入れて、「シャッターチャンス!」と言って売り歩く人がいる。人々に情報を伝えようと、店の窓ガラスを割ってテレビを路上に出したレストランがある。興奮を抑えられず、ビールを飲む人もいる。事件後10分にして、です。
 もちろん、僕も新聞などからコメントや執筆を求められ、判断を問われました。僕がやっていた「叫ぶ詩人の会」は、カンボジアのポル・ポト派の虐殺や、ルーマニアの内戦を自分で見た後に活動を始めたバンドだったから、このときもそういう憤りの声を期待されたのだと思います。
 でも僕は、自分がどうすべきかわからなかった。その日の朝日新聞で「アメリカが世界に対し横暴なことをやってきたからこうなったんだ」という論調の記事を読みました。それはその通りなんだけれども、僕には「なんで、そんな風にすぐまとめちゃうの?」っていう疑問があった。
 まだビルの下には何千人も埋まってる。その周りで10万人が泣いてるときに、それでいいのか。戦場やテロを見てきて、武力を持ってはいけないとわかってる僕でも、一般市民が何千人も犠牲になると、その自信が揺らいでくるんです。攻撃しなくとも、阻止はするかもしれない。だとしたら、それを丸腰でできるのかというと、イエスと答える自信がなかった。自分も相当に凡人だな、というところにたどりついたんです。


■死ぬ日本人、死なないメキシコ人


「ラブ&ピース」と歌っていた人間が、あの事件のあと声を上げられなかった。人生に迷ってNYに行ったのに、迷ったままでは救われないと思った。
 そのときに、もっと救われない仕事をしてやろうと思って始めたのが、世界の自殺率のデータベースをつくることでした。NHKの駐在員が、「メキシコ人が死なないらしいから、WHO(世界保健機関)で調べてみたらいいよ」っていうので、調べてみたらびっくりしましたね。
 日本の自殺率(10万人当りの自殺完遂者数)は1999年から30弱です。旧共産圏を除くとワースト1。女性の自殺率は、リトアニアとハンガリーとほぼ並び、世界一です。電気もない生活をしている国の人が死ぬのはわかる気もするけれど、物があふれているこの国の女性が、世界でもっとも自分の首をくくる。この5年間で自殺をして消えてしまった日本人の数は、計175,000人です。一体なにがあったんだろう? 俺になにかできることがあるとしたら、平和を叫ぶことよりも、一人でも自殺者を減らすことかもしれない。そんな風に思いました。
 そしてメキシコ。この国は、世界一低い3.1です。国が経済崩壊しているから、メキシコ人はアメリカに逃げてきて、道路工事や厨房で働いている。大変つらい職場です。それでも明るい。ちなみに僕が越した先は、ブルックリンの、メキシコ人とドミニカ人しかいないところだったんですけど、彼らは100人くらいでサンバを踊りながら、朝方までバーベキュー大会をしている。それも僕の部屋の下で(笑)。とにかく明るいんです。
 あるとき近所のレストランで、サルサとワカモレ(アボカド・ディップ)と、山のように運ばれてくるインゲンマメを見ていて、「あれ?」と思った。もしかしたら、食べるものと精神は関係してるんじゃないだろうかと。それで、調べてみたら、びっくりした。メキシコ人は豆、特にインゲンマメをたくさん食べます。一方で、豆からタンパク質をとらない、つまりほとんど肉しか食べないチェコ、ハンガリーなどは自殺大国だったんです。自殺率と豆の摂取量が反比例することを発見したとき、あまりの符合ぶりに鳥肌が立ってしまいました。
 では、メキシコ料理のトマトにはどんな効用があるのか。トウガラシはどのようにストレスを発散させるのか。そんなことから本を書くための調査が始まりました。


■色を食べるメキシコ人


  メキシコ人は毎日大量にトマトを食べます。トマトにはリコピンという色素があって、これが肝臓によく働き、体内の活性酸素をやっつけることが最近わかってきました。人間は、動脈硬化やガンを引き起こすといわれる活性酸素と戦うために、色素をとる必要がある。たとえばハンバーガーとコカコーラ。この中に色素がどれだけ入っているでしょうか。メキシコ人はとても貧乏だけれど、大変色鮮やかな食事を好みます。
 色は、この世に存在するいろいろなものとつながっていくことの象徴ではないでしょうか。花に色がないとハチはとまらないし、子孫を残すことができません。そう考えると、色を味わい、楽しみ、身につけることが、自然に生きる生き物にとって、どれだけ大切なのかがわかる気がします。
 トマトは、インディオがアンデス山脈の北で見つけて持ち帰り、メキシコで栽培されて今の形になりました。それが、紀元前1000年とも言われています。
 1500年代に入って、スペイン艦隊がキューバとハイチにやってきます。そしてアステカ王国が滅ぼされ、トマトはスペインの宮廷の植物園に運ばれました。毒草と似ているというので、その後200年は口にする人がいませんでした。ヨーロッパで食されるようになったのは、18世紀のイタリアの飢饉。そしてフランスへ、新大陸へと広まりました。ちなみに、日本には明治時代にケチャップが入ってきて、カゴメのご先祖さんによってトマト栽培が始まりました。
 こんなふうに、トマトをはじめ、我々が今食べているインゲンマメ、ジャガイモ、カカオ、アボカドといった被子植物は、メキシコから世界に広がったんです。


■環境の大激変を生き延びる

 そして、メキシコにまつわることをもう一つ。
 恐竜が滅んだのは、6500万年前に小惑星が地球に激突したという説がありますね。実際に、メキシコでは直径200キロのクレーターが発見されています。
 当時、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は離れていました。間には何もない。その遠浅の海に、地球の生き物を死滅させるほどの隕石が落ちたんです。地表から地殻がぶっとび、マグマが成層圏まで上がり、津波の高さはおよそ1キロに及びました。以来、舞い上がった塵のために、地球は昼を失います。植物は死に絶え、それを食べていた生き物も死に、そして恐竜も死んでいった。そのとき生き延びた哺乳類のネズミが、後に命をつなぐことになるわけです。そういう環境の大激変のあと、なんとか彼らを生かそうとしたのが、今我々が知っている、この被子植物だったのです。
 日本でも、経済が大変厳しくなり、環境の激変がありました。そして175,000人がすでに消えてしまった。今後も環境は変わるでしょう。でもその時になにを信じるのか。会社がなくなっちゃったから、借金背負っちゃったから首くくるのか。
 この本を、メキシコ人を、思い出してほしい。生きる術として、必ずなにかが横にあるはずなんです。
 バーバラ・ストライザンドは、歌手デビューがかなわず映画や舞台でやっと歌うことを許された人ですが、その彼女がこんなことを言っています。
「ひとつのドアが閉じたとき、人は絶望する。しかしそのとき必ず、ほかのドアが開いている」
この本で書きたかったのは、そういう精神なんです。


明川哲也(あきかわてつや)
1962年生まれ。三年間のNY暮らしを終えて帰国。ドリアン助川名義での著作に、『ベルリン発プラハ』『げろりん』『湾岸線に陽は昇る』『食べる──七通の手紙』ほか。バンドAND SUN SUI CHIEのボーカリストとしても活躍中。