今一生

 2001年10月6日(土)、ウィングス京都で「自傷セミナー」が開催された。
 これは、僕の運営するWEB「Create Media Online 」に相互リンクしている現役自傷者のメル友「ほわいと」さん(※拙著『生きちゃってるし、死なないし/リストカット&オーバードーズ依存症』参照)という京都在住の若い女性の発案によるもので、イヴェント開催に慣れている僕は、共催者として準備や運営に参画した。

 メイン会場は約300人のキャパを持つホールで、「日本最大の“自傷ラー”ミーティング」という宣伝をしたぐらいだったが、参加者は20名に満たなかった。
 自傷者はもちろん、その周囲にいる家族や友人、医療関係者のすべてに参加を呼びかけ、自傷者が置かれている現実を見据え、同病者どうしの交流を進め、今より楽になれる情報の交換を目的としていた。
 だが、3000枚もの告知チラシを作り、京阪神のほとんどすべての病院・学校・関連団体などに郵送や設置をして宣伝したのに、参加者のほとんどはBBSで書いていただいた告知を見て来場した自傷経験者(※ほとんどが女性)であり、周囲の人々はごくわずか、医者(※ほとんどが男性)は1人も来なかった。

 やはり医者には、医療の外側と情報交換して協力を求めるという発想が欠けている。
 学会シーズンもあり、医者どうしで情報交換するのを優先していたのかもしれないが、医療全体が自傷に対する関心が薄いことが確かめられたようなものだ。今後は、彼らを“医療オタク”と呼んでやろう(これでは“オタク”の名がすたるが)。

 メインホールでは、村石雅也くん(※映画『ファザーレス』主演)が撮影・編集したビデオ『鬱/リストカッターとの対話』(※2000年11月に東京・渋谷アップリンクで行った自傷イヴェントで初上映)と、このセミナーに参加予定だったのに直前にOD(※オーバードーズ。薬物の過剰摂取)をして心臓発作で急逝した「はなだはなぞう」(※自傷依存の自助グループ「日本自傷連合」発起人)さんの生前のビデオを上映し、「ほわいと」さんと僕、「日本自傷連合」のメンバー2人がナビゲーター役になり、ネット上で自傷を告白している方の日記を読み上げたり、客席にどんどんハンドマイクを回し、自傷経験を語ってもらった。

 上映&トーク終了後にロビーで観客たちとのコミュニケーションをはかると、夕方に行われた分科会には、メインホールに出席した観客のほとんどが参加した。
 都会と違って、地元の人にとっては、会場に入るだけで「自傷ラー」のカムアウト(告白)をしているようなもの。ずいぶん勇気を必要としたと思う。来場、ありがとう。
 ビデオを見て、会ったこともない「はなだ」さんがリスカ&OD依存者と知り、その彼女が「ヘモ(グロビン)値が3.4になっても、あたしは生きていくよ」と答えているのを見て泣いていた方も数人いた。アンケートを読むと、「次回」の開催を望む声も少なくなかった。

 分科会では3つの部屋に分かれた。日本自傷連合のミーティングでは、初めての自助グループ経験でありながら「十分な手ごたえがあった」という声を参加者たちから聞いたし、僕と話す部屋でも「周囲の人は自傷ラー本人に対してせめて有害でない存在になる」ことを目標に、周囲の人が出来ることについて情報交換を進めることが出来た。
 同時に、自傷者に対して、自傷する理由をつめ寄るのではなく、「黙って言い分を聞くこと」「自傷行為以外のヤリタイコト(出来ること)を問いかけること」「心の治療にばかり目を向けるのではなく、体の状態に関心を持つこと」などが話し合われた。

 もう一つの部屋は「ほわいと」さんのHPのオフ会だったが、「引きこもりがちで友達がいない」と言っていた彼女も、セミナーの準備でチラシのDM作業に協力してくれたスタッフとの交流やケータイ番号の交換をするなど、友達作りのチャンスとして有意義だったように思う。
 後日のメールでも参加者から喜びの声が届き、経費の一切を引き受けた僕自身は大赤字を食らったものの、満足度と達成感は十分にあった。家族や友人などに自分が自傷していることを気づかれないようにしていた参加者たちにとって、このセミナーの意義は小さくなかったと思う。

 そもそも今回のセミナーに協力したのは、昨年末の渋谷での自傷イヴェント(拙著参照)の大成功の後で、地方在住の「自傷ラー」達から「私の地元でもやってほしい」とのメールを多数いただき、そうした声に応えたいという気持ちがあったからだ。
 「今後はどんどん地方で開催します」という意味ではない。一度だけでも地方でイヴェントを開催し、地方で何が出来るかを試したうえで、地元の人自身が無理なく開催する方法を開示したいという“種蒔き”の意味だった。
 参加された京阪神の方々が、今回のセミナーで得た教訓を役立て、自分なりに出来るミーティングを各地で興していってもらえたらと思う(京阪神のみならず、各地でのイヴェントを開催したい方の事前相談にはメールで応えていきたい)。

 「自傷セミナー」後、Create MediaのBBSは、自傷行為をめぐる話が活発に書き込まれた。だが、このBBSは、「自傷ラー」だけに解放しているものではなく、僕自身、既に“ココロ系”ではない。
 あえて言えば、「脱ココロ系」もしくは「非ココロ系との融合」をめざすBBSだが、自傷については経験者の言葉に勝るものはない。経験者ではない僕には自傷感覚を代弁することなど出来ないし、彼らの心にストレートに届く言葉を紡ぐにも力不足だ。

 しかし、経験者の声や医療の言葉だけでは、リスカ&ODの依存症から楽になっていない現実もある。それは、「自分の感覚を信じたい」と思い余るゆえの弊害によるものかもしれない。
 彼らがそうした一人よがりで苦しみに耐えている奇妙さに気づき、自発的に「自傷者ではない」僕へ問いかけるまで、黙々と調査や取材を進めたり、自傷経験者の心に届く言葉や物語を模索していきたい。そこで、しばらくBBSへの書き込みを休むことにした。

 思えば、96年2月に『完全自殺マニュアル』の著者・鶴見済氏や自殺志願者たちを招いてトーク・イヴェントを開催した当時、僕も僕自身の苦しみが僕以外の誰かによって解消されるなどとは信じられなかったし(※既にQ2テレクラ依存症で出来た借金は300万を越えていた)、1年間限定のマンスリー・イヴェントが終了して経費がペイ出来ずにさらに借金をこさえていようと、どうでもよかった。
 まだ本さえ出していなかった僕は、雑誌に企画を持ち込んでも、依存症や自傷、クラブ・カルチャーの話など取り上げてもらえず、自分でイヴェントでも行って、それらを表現していくより仕方がなかったのだ。

 イヴェントに取材も来ないようなら、出版業界でも食えないだろうから、サラ金のカードをバキバキ割った後で、線路に飛び込んじゃえと思っていた。当時の僕は、十分に自傷的だった。死んでいたら、「え! あの人が!?」と不思議がられるタイプだろう。
 それでもイヴェントをやるたびに取材されることが増え、原稿の執筆依頼や、それに伴う取材も増えていくと、「死にたい理由」にも「消えたい理由」にもその気持ちに追いやる苛酷な現実があり、つらい現実ほど1人では解決出来ないと思い知らされた。

 僕は、僕自身がどうして自傷的に生きてしまうかを知りたかった。それが僕と僕以外との関係に起因するなら、関係自体を改めたいと思った。AC(※アダルト・チルドレン)という言葉で明かるみになった家族のもたらす病は、家族の内側だけでは解決しにくいし、身近に信頼したり、尊敬出来る相手を見つけられずに人に認められたい気持ちが封印された〈脱社会〉現象など、医療にも解決出来ない苦しみがある。
 しかし、社会もメディアも自閉的だ。家族の外側へ、医療の外側へ、メディアの外側へとつながろうとはしない。だから、僕は、これまで自立型の家出や、家族機能の家族の外側への分散を提言し、外側との出会いを動機づけようと躍起になっていた。

 だが、僕もまた広く社会に受け入れられる言葉への関心が薄く、自閉的な部分があったと反省している。精神的かつ経済的な自立を提言するのも、多くの人にとってハードルの高い目標だし、提言すればするほど読者を「どうせ出来ない。それならダメなままでもよい」と甘えさせがちで、現実逃避へと再依存させてしまったのかもしれない。
 ある女性がBBSにこう書いていた。
「わたしが今、人に必要だと思う物語は(中略)自分の夢や理想を低く見積もることなく、現実との距離を近づけてくれるような物語。現実にできる物語です」
 今後は意識的にそんな“選ばれるに値する父性的な物語”のありかを探そうと思う。

 やっぱ、「テロ、テロ」言ってるばかりのメディアにはウンザリだし。
 だいたい、「アラーのためなら自分の命などどうでもいい」と考えてビルに自爆テロをしかけた人たちは、パールハーバーを奇襲して戦争を始め、「天皇万歳!」と戦死した神風特攻隊を作った日本人と、どこが違うっていうんだろう?
 戦後、日本人は、自らの内なる神=バモイドオキ神に従って小学生を殺した「酒鬼薔薇聖斗」を生んだ。アラーや天皇より、自分でこしらえた一人よがりな神に自己肯定してもらうことの危険のほうが、経典も明らかにされない分、恐ろしいのではないか?

 海の向こうの「戦争」より、今隣りにいる「自傷ラー」たちのほうが、僕にはよっぽど親近感が持てる。もう、ラリって椎名林檎を歌っている場合じゃない。そろそろ本腰をあげて考えなきゃいけない時期なんだ。
 彼らは「死なず殺さず」のまま楽になれるのか、あるいは安心して攻撃性を自分の外側へ向けられるように誰かが動機づけてくれるのか?
 僕は今後、自傷を含め、どんなテーマでも自らイヴェントを主催/共催することは控えるつもりだ。数々のイヴェントで試みた「外側との出会い」を、地に足のつく言葉で淡々とじっくりと物語にしていこう。僕の祭りは終わった。次はキミが祭りを興す番だ。

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今一生
1965年生まれ。コピーライターを経て、90年からフリーライターとして活躍。オルタナティヴ・カルチャーを題材にさまざまなイヴェントを主催する。著書に『完全家出マニュアル』(メディアワークス)、『家族新生』(ワニブックス)、『「出会い系」時代の恋愛社会学』(ベスト新書)ほか。