『器・魯山人おじさんに学んだこと』
著者 黒田草臣インタビュー
聞き手・片柳草生

 黒田草臣さんの父上、領治氏は、十把一絡げに「せともの」と呼んでいた器に光をあて、陶芸家の育成に尽力。器を通して陶芸という一分野を確立させ、陶芸家の社会的基盤の向上に心血を注いだ人である。それほどまでに陶芸へ駆り立てたものは、ひとえに魯山人との出会いがきっかけであった、という。
 その魯山人のもとへ小さいころから使いにやらされたのが草臣さん。長じて父親と同じ道を歩むことになったが、父に勝るとも劣らない焼き物好き。「しぶや黒田陶苑」の主人として店に立つ。焼き物のことを喋らせれば人後に落ちない。彼の話を聞くうちに焼き物にはまってしまった人、数知れず。『器―魯山人おじさんに学んだこと』は、そんな黒田さんならではの目がとらえた陶芸の魅力が、行間からこぼれる。

■ 近所に住む親しいおじさんだった魯山人

――小さいころから魯山人の器に囲まれた暮らしだったのですね?


黒田 昔の家の廊下は、幅が1間弱。向こうからずっと部屋の周りを囲んで長いんですよ。上にはずらっと棚が作ってあったし、縁側も床下もどさっと積んで器を突っ込んであった。相当な数があったと思いますよ。当時から魯山人が焼くと親父は一窯買ったりしていましたから。

――魯山人の器で毎日のご飯を食べていたのですか?


黒田 あったと思うんですよ。具体的には定かではないのだけれど。客がしょっちゅう大勢でうちへくるんです。うちの台所、結構広かったんですが、そこへ料理を盛った鉢がずらっと並ぶ。使わざるを得ないくらい魯山人の器がありましたから、ご馳走を盛ったのは魯山人のものだったでしょうね。なにしろトイレまで魯山人でしたから。魯山人が焼いた男性用のトイレだったんですけれどね、杉の枝を入れる昔式ので。茶室の待合いに使っていましたが、織部のトイレでしたね。

――そのトイレはいまものこっているのですか?


黒田 さあ どうしたのかな。親父が鎌倉の山ノ内に土地買ってうち建てるとき、魯山人が前から目をつけていた藤沢の旧家を魯山人の口利きで買って移築した。玄関の前庭には魯山人が贈ってくれた猿すべりの木が、ありました。この家に移ったのが、僕の生まれた年、昭和17年です。

■陶器好きならではの個性的な焼き物屋稼業

――焼き物屋に生まれて、当然の成り行きとして焼き物屋になられたのですか?

黒田 高校受験の時、面接で「小さくても自分の店持ちたい」って答えたんです。別に焼き物屋って意識はなかったのですが、先生からそのこと聞いたお袋に「小さな店なんて、チンケな理想ね」と言われた事覚えていますね。僕は、小粒でもぴりりとした店を描いていたのですが。でも、今思うと当時からベッドの下に、自分の好きなものを隠していましたね、魯山人の「清風」という額と、古伊万里の花瓶です。当時からつんつるてんって好きではなかったんですね。隠した古伊万里は磁器ですが、染錦で貫入が入っている色絵としては古い手でした。


――そんなものを隠しておくのは、普通の中学生とは言えません。(笑い)やはり、早くから焼き物の知識は豊富だったのでしょう?


黒田 いや、知っていたのは包装の仕方ぐらい。店やりながらお客さんから教えてもらって。でも、最初に嘘を教えられた事が興味のきっかけでしたよ。染付って、ラピスラズリ崩してやったものだ、宝石だって教えられたのです。ラピスラズリって知らなかったから、何だそれは、ちょっと勉強しなくちゃと調べ始めたら違うじゃない。でも、ペルシャ人がブルー出そうとラピス使って緑釉作ったこともわかった。
焼き物って本当に面白いって気付いたのは、湯呑を自分で使ううちに肌が変化することに気付いてからですね。

――お店へ行くと、お茶出して下さる湯呑も週によっていろいろなのが出てきますね。いい味がついていたりして。


黒田 焼き物の面白さは、直接目で見て知ることが一番だから、萩や唐津などの色が変わるものを週毎に変えて使っています。お客さんの中には店で売っているのより、これ欲しいっていう人もいるんですよ。

――お父上と魯山人と陶芸家の交流の様子も面白かったけれど、黒田さんが宇田川抱青とつきあう話は格別だった。雑器なんて作りたくない、という彼をぐい呑作家日本一にしたのですから。焼き物への情熱がないとできない。ここでは物故作家だけ登場しますが、黒田さんがとことん向き合って、ものを作らせてしまった人も多いでしょう。


黒田 とにかく焼きあがった窯から何がでてくるかと、ワクワクした気持ちで夢中でした。生活できないという作家に好きなものを作らなきゃだめだとやらせるので、焼く前に一窯買いとってあげたりして、作家と心中するつもりでつきあいましたね。

――出会った時は、土産物まがいのつまらないものを作ったりしているわけでしょう。その人の力量をどこで判断するのですか?


黒田 高台みればすぐわかります。今も店に作品みてほしいってくる人がいますが、たいていぐい呑を持ってきてもらう。高台がぐちゃぐちゃなのは、絶対伸びない。いじりすぎているのもだめ。きれいには行くけれど、面白みがない。一発で削らないと。100個作って全部同じという人もいるけれど、それでは小鉢です。

■黒田さんがこだわり続ける魅力ある器

――本の中に、ちょこちょこっと出てくる技術的な話も愉快でした。作家の秘密を知ったような。本当の藻草土はどんな感じだとか、摺り続けてこそいい赤が出る色呉須の話。魯山人の口作りのこととか。今、作るための雑誌も増えてきたし情報が豊富で陶芸家志望も多い。陶芸も変貌期と思いますが、焼き物の面白さをどこに求めたらいいでしょうか?


黒田 なんと言っても焼きなんです。一、焼き、二、土、三に作りっていう、その通り。電気の窯ではカリカリに上がっちゃう。焼きをしっかりしようと思ったら土を選ぶことになるし、造形もしっかりします。買って来た土は、結局粗末に扱うことになるんです。昔の人は、ろくろの削りかすも戻して使いましたが、今は汚いって捨てちゃうでしょう。

――たとえば唐津が九州だけでなくどこで焼いても唐津だし、ブレンドした土も流通してどこででも入手できますね。


黒田 その通りで、ブレンド土使っている作家は、単味のものが使いこなせない。ろくろが挽けなかったりもするんですよ。自分の土を探して得る人とは、焼き物の面白さが断然違いますよね。売れればいいと安易な気持ちで数の手になってはおしまい。個性を出してくれなくては。その点、やっぱり魯山人はすごい。自分の芸術のためにものを作っていた。自分に素直でした。人に対する言葉も、正直な所から出ていたものだと思うのです。愛想を言ったり、世間におもねたり、ということがなく自分の気持ちに自然に従っていた。そういう気持ちが込められている器っていうのは、自ずから気品がある。飽きがこない。自然と手がのびて使いやすい器なのですよ。


黒田草臣(くろだ・くさおみ)
1943年、鎌倉市生まれ。明治学院大学経済学部卒業。「渋谷(株)黒田陶苑」の代表取締役。30年にわたり、陶器屋を営んでいる。「北大路魯山人展」など近代陶芸巨匠と現代陶芸家を中心とした展覧会を、自店やデパートなどで企画している。著書に『とことん備前』(光芸出版)、編著に『やきもののある生活』(小学館)がある。月刊『遊楽』に「陶の語りべ・今昔」を連載。

[黒田陶苑]
渋谷区渋谷1-16-14メトロプラザ1F
電話03-3499-3225