『サッカー細見』著者 佐山一郎インタビュー
聞き手・永江朗

 あいもかわらず「大本営発表」的記事を垂れ流し続けるスポーツ新聞にうんざりしつつ、それでも良質のサッカー情報を求めてやまないひとびとにとって、佐山一郎氏の書くサッカー記事は、数少ない読むに耐えうる刺激的なサッカー批評である。スポーツジャーナリズムの伝統がない日本において、「ジャーナリズムに文学を、文学にジャーナリズムを」と唱える佐山氏の仕事は、サッカーという枠を超えて、日本の土壌にあったジャーナリズムを成立させようという真摯な試みと言えるだろう。フランスワールドカップの熱狂が過ぎたいま、これからのサッカー界/サッカージャーナリズムはどうあるべきか? 佐山一郎が語る、サッカーの全体真実。

■サッカーの全体真実について語るべく

──なぜサッカーについて語り、かつ書くのでしょう。この本の「はじめに」には「今、サッカーの“全体真実”について語らねば、自分や同時代に対して不誠実になるという黙しがたい思いに支えられてこの本は編まれた」とありますが。

佐山 玉村豊男さんはあるところで、オルダス・ハックスレーの『悲劇と全体真実』というエッセイについて語っています。ハックスレーはホメロスの『オデッセイア』について「全体真実を描いている」と賞賛しているそうです。ホメロスは惨劇だけでなく、また、人々が悲嘆にくれる様子だけでなく、夕餉の用意をして渇きと空腹を癒したことも書いている、と。ぼくは玉村さんがなぜそこに感応されたのかがよくわかる。つまり、中田英寿がどうしたということだけでサッカーを語るのではなく、ぼく自身の筋肉痛だのなんだのまで含めて語ることの大切さです。視線を周囲に拡散させて、日常的な全体真実について忠実でありたいと、そうぼくも思ったわけです。

──それは、たまたまサッカーだったんでしょうか。それとも佐山さんにとっては必然的にサッカーでなければならなかったのでしょうか。

佐山 ぼくは1953年生まれです。小学生のころ夢中になっていたのは野球で、駒沢公園で東映フライヤーズの試合を見たりしていた。小学校6年生のとき、東京オリンピックがありました。チケットが余っていたのでしょう、先生に引率されて見に行った。国立競技場でハンガリーのベネ選手がモロッコ相手にひとりで6点入れるシーンを目撃しました。それが初めて見る国際ゲームでした。万国旗の存在=世界に目覚めたというのかなぁ。ぼくは野球の才能がなくて、水泳もだめ。だけどなぜかサッカーだけはうまかった。その後、68年にメキシコ・オリンピックのフィーバーがあって、サッカーの熱狂は70年ごろまで続く。そして70年代後半にはドッチラケ。白状すると、いちど遠ざかっているんですよ。

──そうですか。離れていた時期もあったんですか。


佐山 遠ざかっていないふりをしていますけどね、ハハハ。80年代の会社員時代に(注・『スタジオ・ボイス』編集長だったころのこと)、身体性回復機運が自分の中でも起きて、会社の後輩と野球場でビールを飲んだり。そんなとき「待てよ、サッカーがあったな」と。雑誌『Number』が創刊されたのも同じころですね。84年に会社を辞めてからは、同誌にちょくちょく寄稿させてもらえるようになって。


■世界は広く、サッカーは深い

──本書には「私が職業的な興味を惹かれ続けてきた理由は、〈サッカーについて書くこと、読むことの途方もなさ〉に尽きる。世界は広く、サッカーは深い」という文章が出てきます。80年代なかばからは、ずっと見続けてこられたわけですね。


佐山 ええ、ただし距離感は保ちながら。やはりいろんな視点と角度で見ないと。一人称一視点で見続けていると、いつのまにか狭苦しいハードボイルド風になっちゃう。スタジアムでも見る場所を変えています。ゴール裏だったり、記者席からだったり。記者証をぶら下げると、記者会見に出られるけど、特権者の気分が少し邪魔に感じられる。選手の囲み取材がいちばん好きという人が多いのもわかります。でも40歳を過ぎると、選手よりもリーダーに関心が向いてくる。たまたま岡田さん(岡田武史前日本代表監督、現コンサドーレ札幌監督)なんかとは現役のころから付き合いがあって、こちらとしては、うまく距離感とるのがすごく難しいんです。

──本書でも岡田武史監督への3つのインタビューは、非常に興味深い部分です。しかし佐山さんは、Jリーグブームのときも、そしてワールドカップ・フランス大会の熱狂のさなかも、あまり浮かれて荒稼ぎしているようには見えませんでした。


佐山 それでも電話は鳴りやまなかったぐらい。おかげさまで鉛筆削りが買えました(笑)。あんなことはもう二度とないよね。結局この本には入れなかったけれども、女性誌に書いたQ&A的原稿もあるんですよ。「オフサイドってなんですか」とか「中田クンってそんなにすごいんですか」なんて問いに対する真摯なお答えというスタイル。

──その意味では、加熱したブームの熱狂のさなかではなく、今こそ出す意味があると思います。


佐山 営業的にはちょっとゴメンナサイなんですけれど、とにかくもうあの頃は日々「宣戦布告」「真珠湾奇襲攻撃」なんていう軍事的比喩がポンポン聞こえてきた。しかも「非国民」と市民派の小沢遼子さんまでもが口走るんだから呆れる。

──熱狂のあとのJリーグを語ろうとすると、どこか経済記者じみてくる、とか。


佐山 順位予想の備考欄に、クラブの年間予算を入れろと言った途端に依頼が来なくなりましたけどね。でも、今はメディアもファンも完全にそういう気分になっていますよ。

──熱しやすく冷めやすい。


佐山 ダメになったらまたやり直せばいいだけの話で、何も恐れることはない。サッカーはボールとピッチさえあればできるんだから。熱しやすく冷めやすいのは昔から変わらないよね。日本人はバカでも天才でもない。ほとんどが中くらいなんです。だからその平均値にさらに上乗せしていけばいいんです。最悪事態感ばかり刺激する評論家とそのグループが存在しますけど、ああいう手合を“天ツバ族”と言うんでしょうね。

──私はあれを見て、日本人に民主主義は無理だと思いました。どっかの植民地になっていたほうが幸せだったかもしれない。


佐山 敗戦後イギリスの植民地になっていたら、もっとサッカーは強くなっていたでしょう。ワールドカップだって4、5回は出ていただろうし。もっと言うなら、日本のサッカーが弱いのは、優秀な人材が野球にばかり行くからですよ。それはもう歴然としている。


■団塊の世代はなぜサッカーを理解しないか

──しかし、熱狂がもたらしたプラスもある。少なくともオフサイドの説明をしなくてもよくなったように。


佐山 そうそう。それと、自分でサッカーをやったことがある人は、その楽しい記憶を一生忘れないでしょう。それはキャッチボールの世代とはまったく違っている。若い人がこんなにサッカー好きだということを、団塊の世代の人はわかっていなさすぎますよ。世代・性差をこえる貴重な共通項になっているんです。酒場でもサッカーの話から互いにうち解けるということが頻繁ですよね。

──団塊の世代がサッカーに無関心なのはなぜなんですか。なんか嬉々として野球を語る彼らには、サッカーへの憎悪すら感じられるときがあるんですが。

佐山 野球ファンというよりも長嶋ファンでしょう。名選手でもジャイアンツに入れなかった人には不幸の自覚がある。でもジャイアンツ言説もだいぶんすり切れてきた。いまジャイアンツの選手で顔と名前が一致する人、何人いますか? サッカーの一神教的な強制力は、野球も語り、サッカーも語りということをさせない。サッカーだけを責任持って語ってくれ、サッカーに全身全霊打ち込め、という声がどこからともなく聞こえてくるのが辛いところです。
 それと、サッカーは社会変革的なものを掻き立てるでしょう、地域名を冠した総合スポーツ・クラブを作るとか。だからいつまでたっても開拓者みたいな気分で落ち着かせてくれないんですよ。もう少し経ったら、サッカーを題材にした詩作かフィクションに行こうかと思っている。もうオフサイドの説明とかしなくてよくなったんだから、これからじゃないですか。やっと土壌が整ってありがたい。長生きしなくっちゃ(笑)。

──この本には、「欧・南米では××だ、それに引き替え日本では」といった言い方がほとんどありませんね。「では」を言わないところが、とても格好いい。

佐山 いや、そういうみっともないことは、過去に全部やってます(笑)。サッカー・ライティングの発展段階説というのがあって、私にもそういう芋虫の過去がたくさんありますよ、今が綺麗な蝶々だとはいわないけど。「競技場を満員にしようではないか」とか「サッカーではなくフットボールと呼ぼう」とか。とにかく呼びかけちゃったり、啓蒙したり。恨まれることも時々はやったしね。でも、歳をとってくると、だんだん賢くなる。通り過ぎたんですね。ひどいもんですよ、昔のテクスト。でも、あまり恥ずかしいとは思わないですね。いまも「まだ他に書き方はあるかな」って模索してる。ただ、インタヴューイーとの距離感を間違えるとまずい、っていうのが基本にありますね。

──「どちらかといえば私はクールな物言いを好む」という一節があります。


佐山 スポーツ新聞の記者じゃないので、まれに寄り添い、ときには「これじゃいかんな」と離れたり。できれば、「あなたは──」と聞きたいし、「世間」的価値より「社会」的価値を一段高く置きたい。でも、まぁ、元が浪花節人間なので、どこまで醒めて見聴きできるかが勝負どころだと思っています。知性、情熱、詩情の三位一体が大事ですね。


■スポーツジャーナリズムが存在しない日本で

──現時点で日本のサッカーはどうなんですか。Jリーグの観客動員数低下などで、「ブームは去った」と言う人もいるし、でもレッズとベルマーレの2部落ちではあんなに熱狂したし。中田や名波の活躍も必ずニュースになる。どういう状況なんでしょう。


佐山 2002年のワールドカップまではなんとかいける。その後が怖いと関係者は思っている。だけどテレビ視聴率を年齢別に取ってみると、30代半ばから下はサッカーのほうが野球より高いんです。そもそもは20年ぐらい前に小学生の体力測定をしたとき欧米に比べて非常に劣っていることがわかった。それはソフトボール=野球がいけないんではないかとなった。野球は主としてバッテリーと打者しか動いていませんからね。体力のあまりない子でもおもしろがれるスポーツとして、サッカーボールが小学校に1人1個の割合で配られるようになった。それを団塊の世代以上の人はわかっていない。昔サッカーをやっていた人は、旧制高校のエリートですよね。そのイメージがまだ少し残っているのかもしれない。

──Jリーグはかなりいいところまできていると思いますか。


佐山 まだまだ過渡期的状況だとは思いますが、いちばん大きいのは各クラブの出向社員の問題ですよね。サッカーに関心もなければ気力もアイデアもない人が、親会社から天下りのように出向してきて、2年ぐらいでまた去っていく。それが最大の誤算です。でも、これからはよくなりますよ。普通にサッカーの記事を新聞や雑誌で読んで、普通にテレビで見るという経験を重ねていけばこれ以上悪くなることはないと思う。順調に行けば、ぼくも半世紀後にはお化けのサポーター。日本はその頃、世界最強国かも(笑)。

──「ジャーナリズムに文学を、文学にジャーナリズムを」ということをおっしゃっていますね。

佐山 リテラリー・ジャーナリズムというのは本来アメリカのものなんですね。国としての歴史記述の堆積が乏しいから大切にされている。日本は日記と和歌があればそれでいい、という国です。だからインタヴューの仕事をいくら積み重ねてもあまりリスペクトされない。しかし、文学伝統が違っても、もう少し良い書き手が育つように構造や仕組みを変えていきたいとは思います。現在の日本には、私が考えるようなスポーツジャーナリズムは存在しません。スポーツ新聞でも、たまにキラリと光る署名記事があったりはしますが、全体に玉石混淆がひどすぎる。依然、アメリカン・ジャーナリズムをお手本にしていくしかないのかもしれません。消費社会のキャスティングボートを握っているのは若者だとばかりに、著名選手にすり寄る書き手も少なくないけど、だんだん落ち着いてくるんじゃないですか。景気も悪いから、みんなもっと冷静に考えるでしょう。生活芸術的じゃないものはもう認められませんよ。マーケティング至上主義というのは、いっときはいいかもしれないけど、それでは長続きしないし、かえって社会全般が不幸になる。

──その意味では、この本は時間が経っても古びないサッカージャーナリズムですね。サッカーの全体真実があります。

佐山 「細見」著者いわく、「礼儀知らずにユーモアなし」。欲を言えばもう少しユーモアをいれたかったと反省しています。現代スポーツは遊びの無意味にもう一度立ち返るべきだと思っていますので。

佐山一郎(さやま・いちろう)

1953年、東京生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒業。『スタジオ・ボイス』編集長を経て、80年代半ばより、インタヴューアー、ノンフィクション作家、コラムニストとして活躍。主著に『東京ファッション・ビート』(新潮文庫)、『「私立」の仕事』(筑摩書房)、『闘技場の人』(河出書房新社)、『Jリーグよ!』(主婦の友社)などがある。