01 ソンは、キューバ音楽の背骨のようなもの /キューバ
キューバのミュージシャンとライ・クーダーによる『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のアルバムがベストセラーを記録してグラミー賞をとり、欧米でのキューバ音楽の人気再燃のきっかけを作ったことはごぞんじの方も多いだろう。
そのアルバムのジャケットに登場し、「私の花に何をした」や「誇りを持って」でアルモニコと呼ばれる特製の7弦ギターを弾きながらうたっていたコンパイ・セグンドが、新作『ロ・メホール・デ・ラ・ビダ』(人生最良の時)を発表した。『ブエナ・ビスタ』での彼のいぶし銀のような歌やギターに魅了された人なら、スペインのフラメンコ歌手からキューバのロック系シンガー・ソングライター、シルビオ・ロドリゲスまで多数のゲストが参加したこの新作にもやみつきになるにちがいない。『ブエナ・ビスタ』のヒットで欧米をツアーして回った彼は、この新作でもとても今年90歳とは思えない腕さばきでアルモニコを弾きまくっている。
30年代に世界的にヒットした「シボネイ」という曲がある。シボネイはキューバの先住民の名で地名にもなっている。そのシボネイで生まれた彼は、ティーンエイジャーのころから東部で音楽活動をはじめ、30年代以降は首都ハバナに出て活躍した。20年代から30年代にかけてといえば、東部生まれのソンという音楽がハバナに伝わって演奏スタイルが確立していった時期にあたる。
当時ソンを演奏したバンドの編成は、6人組のセステートか、7人組のセプテートのことが多かった。セステートの基本的な楽器編成はギター、トレス、ベース、マラカス、クラベス、ボンゴ。このうちトレスは弦が3列の小型ギターでそれぞれが複弦もしくは3本弦。クラベスは拍子木。椰子の実で作るマラカスや膝にはさんで叩くボンゴはごぞんじの方が多いだろう。セプテートになると、ここにトランペットが加わる。具体例をあげると『ブエナ・ビスタ』と『ロ・メホール』の1曲目はそれぞれセプテートとセステートに近い編成で演奏されている。
そのソンが世界的に流行したのは、1930年にドン・アスピアス楽団の「南京豆売り」がヒットしてからだった。これは「エル・マニセーロ」「ピーナッツ・ヴェンダー」という題名でもおなじみの曲だ。しかし30年代にはこの音楽はソンとは呼ばれず、ルンバ(日本ではルムバと表記された)という名前で広がった。アメリカの音楽出版社がこの曲の楽譜にソンと表記して売り出そうとしたら、ソングと誤植されたので、ルンバに変えたのがそのまま広がったと言われている。なお、キューバでルンバといえば、もっとアフリカ色の強い打楽器音楽を意味するので、混同しないようにしたい。
「南京豆売り」は日本にもすぐに紹介され、フロリダなどのダンス・ホールでよく演奏されていたという。1931年には鉄仮面こと作間毅と小関ローイ・ジャズ・バンドが「南京豆売り」として録音し、1933年にはアメリカからやって来た二世歌手/ダンサーの川畑文子も「キューバの豆売り」というタイトルで吹き込んでいる。時代が下がって戦後には美空ひばりが歌詞を変えてとりあげたし、60年代にはザ・ピーナッツが自分たちのテーマ曲のようにしてうたっていた。
1935年にアメリカで作られた『ルムバ』という映画もたぶんソンをルンバとして広めるのに大きな役割を果たしたのだろう。監督はマリオン・ゲーリング。主演はジョージ・ラフトとキャロル・ロムバート。映画の中に、アメリカからキューバに来たお嬢様が、上流社会のとりすました生活に退屈して、良家の子女があまり足を踏み入れない屋外のクラブに演奏を聞きに行き、ソンを演奏するバンドを見ながらボーイフレンドに「これがルンバよ」と言う場面がある。だから映画を見た人は、なるほど、これがルンバかと思ったにちがいない。
この映画が戦前に日本で公開されたのかどうかぼくは知らない。太平洋戦争後、米軍が日本を占領していた時期の記録映画で、たぶん1946〜47年ごろの銀座あたりの映画館にこの『ルムバ』が上映中という看板がかかっているのを見たことがあるが、それが初上映か再上映だったのか。ごぞんじの方がいらっしゃったら教えてください。1947年に服部良一が「バラのルムバ」を作り、二葉あき子の歌でヒットしたのは、この映画の公開がひきがねだったのかもしれない。なお、この歌は70年代に雪村いづみとキャラメル・ママの『スーパー・ジェネレイション』にも収録された。
さて、セステートやセプテートの編成で広まったソンだが、年とともにリズム・セクションやブラスを拡充する方向に進んだ。それにはアメリカのビッグ・バンド・ジャズの影響もあったはずで、ニューヨークで活動していたドン・アスピアス楽団の「南京豆売り」の演奏は、トランペット・ソロこそセプテート編成のスタイルを踏襲しているが、すでにドラムや複数のブラスらしい音が聞こえる。50年代にはピアノやティンバレスを加え、ブラス・セクションを拡大したバンドが増え、テンポを早め、ハードなブラスを前面に出した演奏スタイルのマンボが世界中で流行したときも、ソンがよく演奏された。さらに、キューバ革命後、アメリカとの国交が途絶えると、ニューヨークではプエルトリコからの移民のミュージシャンたちかソンを母体にしてサルサを生んだ。
とまあ、大きくはしょって書いたが、ソンがキューバの音楽の中で背骨のような位置を占める音楽であることは少しはわかっていただけたと思う。だから『ブエナ・ビスタ』の成功以後続いているキューバ音楽の発売ラッシュの中でも、ソンが占める比重はたいへん大きい。いくつかおすすめのアルバムをあげておこう。
シエラ・マエストラの『ティビリ・タバラ』は、20年代のセステート的な曲からきらびやかなブラスが活躍する40〜50年代風の曲まで、さまざまなソンの魅力をパノラマのように展開した傑作。50年代から活躍しているローロ・マルティーネスは、『パラ・バイラール・ミ・ソン』で、若手のバンボレオのメンバーたちのいきのいい演奏にのって、とびきり豪快なソンを聞かせる。メンバーを変えながら20年代から続いているロス・ナランホスの『褐色のソン』はセプテート的な感覚のソンがしみじみ味わえるアルバム。シエラ・マエストラ出身のヘスス・アレマーニュが結成したキューバニスモの『リーンカルナシオン』ではビッグ・バンド・スタイルの演奏で、ソン以外の音楽もいろいろ聞ける。
きらびやかなブラス入りのソンは、50〜60年代の日活映画の薄暗いキャバレーなどで、女性が肉体の露出度の高いダンスを踊る場面に多用された。子供がそんな映画を見てはいけませんと言われ続けた結果、ぼくはビッグ・バンドのソンを罪の意識なしに聞けなくなったという悲しい過去を持っている。最近のキューバ音楽ラッシュは、ぼくをようやくその呪縛から解放してくれつつある。 (98年10月)
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