共謀罪とは何か
 山下幸夫(弁護士)

共謀罪の本質は、共謀することだけで犯罪になるという点です。共謀とは何かというと、人と人が話し合う、相談する、意見を交わすという行為です。相談した行為そのものが犯罪にされる、つまり、犯罪をしようと会話を交わすこと自体を犯罪行為にするというのが共謀罪です。

現在、国会に提出されている政府案の具体的な中身は次の通りです(組織犯罪処罰法第6条の2)。

(犯罪の要件)
1 長期4年以上の刑を定める犯罪について、
2 団体の活動として、
3 当該行為を実行するための組織により行われるものの
4 遂行を共謀すること
(刑期)
 原則として、2年以下の懲役又は禁錮
  但し、死刑、無期又は長期10年を超える法定刑が定められている犯罪の共謀をした者は、5年以下の懲役又は禁錮
(自首)
  実行の着手以前に自首したときは刑は、減軽又は免除される。

話しあっただけで犯罪になる

犯罪を一緒にすることを相談する場合に、ふつうは、「人を殺そう」とか「人の物を盗もう」と端的な言葉で話をすることは考えにくい。たとえ犯罪の相談をするとしても、明確ではない言葉のやりとりが会話の中で話されるのがふつうではないかと考えられます。
話し合った内容が犯罪になるかどうかは、実は、それほど明確なものではありません。そこには、その話し合った内容を解釈することが必要になるのです。
つまり、共謀があったのかどうかは、まず、警察官や検察官が判断し、最終的には裁判所が判断するのです。逆に言うと、最終的に裁判所が、共謀罪が成立すると判断するまでははっきりしません。その意味で、一体どのような場合に共謀罪が成立するか否かというのは、非常に不明確です。

これまでの近代的な刑法の考え方では、犯罪というのは何らかの法益、すなわち法律が保護しようとする利益が侵害されたという結果が発生してはじめてそれを処罰することができるとするのが原則でした。
はっきりとした結果が発生するのでなければ、犯罪が行われたかどうかがはっきりしないと考えられてきたからです。
つまり、犯罪なのか犯罪でないかがはっきりしない行為は、原則として、処罰をしない、結果が発生して犯罪であることが明らかになってはじめて処罰することができるという考え方をしていました。
ただ、時代とともに、重大な法益を侵害するおそれがある場合には、結果が発生していない未遂犯も処罰することになってきてはいます。
しかし、それでも、重大な法益を侵害する犯罪について、何らかの具体的な行為(実行行為)が行われ、たまたま結果が発生しなかった場合に、その未遂についても処罰をすることにしています。

さらに、きわめて重大な法益を侵害する犯罪については、未遂でもない「予備行為」という準備行為を処罰することにしています。
例えば、殺人罪であれば、凶器として使用するつもりで、包丁を買った行為について、殺人予備罪として処罰しています。これは、人の生命という重大な法益については、予備行為を処罰するという例外を認めたものです。
ただ、予備行為を処罰するのはあくまでも例外であり、法益侵害という結果を発生させた行為を処罰するというのが刑法の原則です。
この観点から見ると、単に共謀しただけで犯罪として処罰しようとする共謀罪というのは、予備行為よりも遙かに手前の段階で処罰しようとするものであり、現在の刑法の考え方から見ても、きわめて異例なものであるということが言えます。
それは、本来、犯罪として処罰されるべき実体を有していない行為を、形式的に「犯罪」として処罰することによって、予防しようとするものであると言うことができます。

刑事立法を根本から変える

提案されている共謀罪が問題であるのは、何よりも、これまでの日本の刑事立法のあり方を根本的に変える本質を持っているからです。

近代的な刑法の考え方の中に、「責任がなければ刑罰はない」という責任主義があります。責任主義というのは、近代以前にあった結果責任や団体責任を否定する考え方です。つまり、たまたま不可抗力で発生した結果についての刑事責任を問われたり、犯罪を犯した者の親族などが刑事責任を問われることがないということです。
つまり、現在では、行為者に、責任能力や故意・過失がある場合で、行為者の行った個人的行為についてのみ責任を認めることができると考えられています。
ところが、共謀罪は、いわば団体責任を認めようとするものであるとともに、客観的な行為がなくても、たんに「共謀」のみがあれば、共謀に加わった者が誰一人として実行行為に着手しなくても、犯罪が成立するとして処罰しようとするものです。

わが国の判例実務上認められている「共謀共同正犯」の理論(単に共謀しただけの者についても犯罪の実行をした者と同じ刑事責任を認める考え方)ですら、共犯者のだれかが実行行為に着手することをその要件としていました。それでも、学説からは強い批判に晒されていたのです。
ところが共謀罪は、そのような要件すらも外して、単に「共謀」さえあれば、それだけで犯罪が成立するとしているのです。
ちなみに、共謀罪の原型であるアメリカのコンスピィラシーについても、大部分の州では、「何らかの外的な行為」(顕示行為)があることを要件としていると言われています。しかし、現在提案されている政府案による共謀罪には、そのような行為すら要求されていないのです。

どのように共謀罪は登場したか

政府・法務省は、共謀罪を新設するのは、2000年12月に国連で採択された国連越境組織犯罪防止条約の批准のための立法化であると説明しています。
その条約は、組織犯罪として、主として麻薬などの薬物を取り扱う犯罪集団が行う「国境を越える組織犯罪」を想定して作られ、各国が、そのような「越境的な組織犯罪」を取り締まるために、警察などの法執行機関に対して、いろいろな捜査権限を持たせ、世界の各国が協力して組織犯罪を防止していくことを目的に起草されたものです。

共謀罪は、もともと歴史的には、とくにイギリスやアメリカにおいて、労働者が集まって労働争議をすることを禁止する、つまり、労働団体を規制するという観点から認められてきたという歴史的経緯があります。
この共謀(コンスピィラシー)という概念は、英米法において認められていましたが、ヨーロッパのドイツやフランスなどの法体系である大陸法にはありませんでした。
日本の法体系は、明治時代以降、大陸法を参考にして作られてきていますので、共謀(コンスピィラシー)という概念は存在していませんでした。
そのために、日本政府も、国連越境組織犯罪防止条約の審議の際には、日本の法体系から見て、共謀罪の成立は不可能と考えて、そのような意見を表明していました。それは国連における審議の際に日本政府が提出した書類からも明らかです。そこでは、次のように述べられていました。

「(前略)このように、すべての重大犯罪の共謀と準備の行為を犯罪化することは我々の法原則と両立しない。さらに、我々の法制度は具体的な犯罪への関与と無関係に、一定の犯罪集団への参加そのものを犯罪化する如何なる規定も持っていない。」

広範にしてあいまいな法律

国連越境的組織犯罪防止条約は、その適用範囲として、「越境性」と「組織性」の2つの要件を挙げています(同条約3条)。
「越境性」とは、国境を越えるような犯罪であることであり、「組織性」とは、犯罪組織であることを意味しています。
ところが、現在、政府から提案されている共謀罪には、「越境性」はまったく要件とされておらず、また、「組織性」の要件もきわめて緩和されています。
この意味において、政府案では、国連越境的組織犯罪防止条約の国内法化の要請をはるかに超えて、処罰範囲を広く拡張する提案がなされていると言えます。
つまり、日本では、数人の人が、何か犯罪をしようと話し合いをしたというだけで処罰するという一般的なかたちで共謀罪を作ろうとしており、本来の条約が求めていた内容よりも非常に広範なものになっています。

 具体的にどういう犯罪に共謀罪が適用されるかというと、例えば、刑法に逮捕監禁罪というのがあり、現在5年以下の刑です(近く7年以下の刑に引き上げられる予定です)。
労働組合が、団体交渉をしようとして使用者と会って交渉を行い、何時間も交渉が続いて、組合員が使用者を取り囲んで、使用者を会議室の外に出られないようにしたことが逮捕監禁に当たるとされています。
そうすると、逮捕監禁罪は、共謀罪の対象になる犯罪ですので、あらかじめ労働組合の中で、組合員同士で、使用者側と交渉する際に、使用者を簡単には帰さないようにしようと話し合えば、その時点で共謀罪が成立することになります。

酒場でおじさんたちが、「あの上司を、今度、殴ってやろうぜ」などと盛り上がることがありますが、法務省は、そういう場合は、まだ具体的な謀議ではないので共謀罪に当たらないと説明しています。
しかし、具体的かどうかは程度問題ですので、こういう場合にも共謀罪が成立する場合はあると思います。
このように、共謀罪が成立するかどうかというのは、きわめて曖昧だということです。共謀罪になるのかならないのかは、まず警察官や検察官が判断し、最終的には裁判所が決めます。
そうすると、自分たちは、共謀罪という「犯罪」を犯しているつもりはまったくなくても、後から、それが共謀罪になると言われて犯罪にされてしまうことがあると思います。そこが非常に怖いのです。

 それだけではありません。判例上認められている「共謀共同正犯」の理論の運用状況からすれば、共謀すなわち意思の連絡については、明示の意思連絡でなくても、黙示の意思連絡で足りると解釈されています。
黙示というのは、暗黙のうちに示すという意味ですから、言葉として意思が表明されることは要求されていません。
つまり、お互いの顔を見合わせてうなずくとか、いわゆる「あうん」の呼吸で、お互いの意思が合致するということを意味しています。
 そうすると、共謀罪が成立するためには、話し合うことすら不要ということになってしまいます。
それでは、犯罪かどうかの境界線は、ますます曖昧なものとなってしまうことでしょう。

スパイ・おとり・盗聴

共謀罪に関する政府案には、「実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。」との但し書きがあります。
共謀罪が新設されて運用されるようになると、その共謀に参加したと称する組織の元メンバーが共謀の事実を証言するとともに、その者については、刑が減軽又は免除されるという方向で運用されるのではないかと考えられます。
 また、覚せい剤取締法違反事件において、最近では、捜査官が自らおとり捜査を行って売人を検挙するという捜査が行われるようになっています。
共謀罪については、捜査官自らがスパイとして組織に入り込んで潜入捜査を行い、捜査官自らが共謀の事実を証言する時代が来ることも否定できません。

その意味では、共謀罪が成立した後に来るのは、組織犯罪について、刑事免責する規定が新設されることになると考えられます。
 その結果、市民全員がスパイとなって、警察に犯罪を積極的に申告しなければならない社会になることが予想されます。

 いずれにしても、共謀罪が新設された世の中は、今よりも絶対に住みにくくて窮屈になるに違いありません。
市民は、相互に監視を迫られて、「一億総スパイ化」が進むでしょう。
また、共謀罪を取り締まるために、盗聴捜査が当たり前となる時代が来るのではないかと危惧します。
共謀罪については、現時点において、将来そのような時代が来ることをどれだけ想像力をたくましくしてリアルにイメージすることが必要です。
その上で、私たち市民の一人一人が、そのような社会を受け入れるのか、拒むのかの態度表明が問われているのです。