二階席からの眺め――序文
近すぎると全貌をとらえることができない。遠すぎては細部が見えない。野球場はおおむね素晴らしい場所だけれど、行けば行ったでそれなりに不平不足が出てくる。贅沢なことに、眼の欲や耳の欲にはかぎりがない。あれも見たい、これも聞きたいというわけで、結局はどこかで手を打つことになる。
私の場合は、それが二階席だった。ドジャー・スタジアムではロージ・レヴェルという。セーフコ・フィールドではテラス・クラブと呼ばれる。ヤンキー・スタジアムのロージ・レヴェルはやや高いところに位置するので、それよりも少し下のメイン・ボックスのほうが見やすいかもしれない。リグレー・フィールドやフェンウェイ・パークのような古い球場の場合は、フィールド・レヴェルのいくらか上の席が私の好みに合う。
いずれにせよ、ネット裏や外野席ではない。前者では構図が見づらいし、後者ではさすがに選手の顔が見えない。双眼鏡で見るのは、視界が限定されてあまりおもしろくない。
記者席、というのもちょっと困る。こちらにはときおり潜り込ませてもらっているが、正直なところ、窮屈さは拭いがたい。歌はご法度だし、冗談をいって哄笑するのも少しは遠慮する必要がある。そもそも、私のようにのんきな観客は、試合経過を刻々送信しなければならない記者の方たちの邪魔になりかねない。そりゃそうだろう、イチローを見ながら、サム・ライスがどうしただの、ハリー・フーパーがこうしただのと横でつぶやかれては、向こうも気が散ってしようがないはずだ。
で、私は二階席に陣取る。できれば、本塁と一塁の間が望ましい。投げる、打つ、走る、守るという最も基本的なアクションが、まずはこの周囲で起こるからだ。まだある。糸を引く球の流れや審判の動きもよくわかるし、夏の夕暮れなどは、左翼後方で紫色に暮れなずんでいく山々や高層ビルの変貌もゆっくりと楽しむことができる。
大体こんな感じで、私は大リーグやマイナー・リーグの野球を見てきた。コークスクリューのように身体をひねって球を投げる野茂英雄も、一塁へ向かって鹿のように駆けるイチローも、帽子を飛ばしてレフト線のファウルフライを捕りにいく松井秀喜も、打者走者と競り合って一塁のカバーに入るマーク・プライアーも、きれいな放物線を描く本塁打を右中間に放ち、小走りにダイヤモンドを一周してくるアルバート・プーホルスも、アウトローに遠く外れる完全なボール球を長い腕で楽々とすくい上げるブラディミール・ゲレロも、さらには夜間照明に銀髪を輝かせながら始球式のマウンドに登っていくジョー・ディマジオも__。
なにもかもが、二階席からの眺めだ。それだけではない。幻覚とそしられることだろうが、私はときおり二階席から、過去の野球とも交信する。少なくとも、交信した気になっている。いつもいつも妄想を放し飼いにできるとはかぎらぬにせよ、これは楽しい。野茂英雄とルイ・ティアンが、イチローとサム・ライスが、松井秀喜とビリー・ウィリアムスが一挙に結びつくのはこんな瞬間だ。
二階席からの眺めは、思いがけない発見や言葉を、私にもたらしてくれる。
二階席からの眺め――序文
近すぎると全貌をとらえることができない。遠すぎては細部が見えない。野球場はおおむね素晴らしい場所だけれど、行けば行ったでそれなりに不平不足が出てくる。贅沢なことに、眼の欲や耳の欲にはかぎりがない。あれも見たい、これも聞きたいというわけで、結局はどこかで手を打つことになる。
私の場合は、それが二階席だった。ドジャー・スタジアムではロージ・レヴェルという。セーフコ・フィールドではテラス・クラブと呼ばれる。ヤンキー・スタジアムのロージ・レヴェルはやや高いところに位置するので、それよりも少し下のメイン・ボックスのほうが見やすいかもしれない。リグレー・フィールドやフェンウェイ・パークのような古い球場の場合は、フィールド・レヴェルのいくらか上の席が私の好みに合う。
いずれにせよ、ネット裏や外野席ではない。前者では構図が見づらいし、後者ではさすがに選手の顔が見えない。双眼鏡で見るのは、視界が限定されてあまりおもしろくない。
記者席、というのもちょっと困る。こちらにはときおり潜り込ませてもらっているが、正直なところ、窮屈さは拭いがたい。歌はご法度だし、冗談をいって哄笑するのも少しは遠慮する必要がある。そもそも、私のようにのんきな観客は、試合経過を刻々送信しなければならない記者の方たちの邪魔になりかねない。そりゃそうだろう、イチローを見ながら、サム・ライスがどうしただの、ハリー・フーパーがこうしただのと横でつぶやかれては、向こうも気が散ってしようがないはずだ。
で、私は二階席に陣取る。できれば、本塁と一塁の間が望ましい。投げる、打つ、走る、守るという最も基本的なアクションが、まずはこの周囲で起こるからだ。まだある。糸を引く球の流れや審判の動きもよくわかるし、夏の夕暮れなどは、左翼後方で紫色に暮れなずんでいく山々や高層ビルの変貌もゆっくりと楽しむことができる。
大体こんな感じで、私は大リーグやマイナー・リーグの野球を見てきた。コークスクリューのように身体をひねって球を投げる野茂英雄も、一塁へ向かって鹿のように駆けるイチローも、帽子を飛ばしてレフト線のファウルフライを捕りにいく松井秀喜も、打者走者と競り合って一塁のカバーに入るマーク・プライアーも、きれいな放物線を描く本塁打を右中間に放ち、小走りにダイヤモンドを一周してくるアルバート・プーホルスも、アウトローに遠く外れる完全なボール球を長い腕で楽々とすくい上げるブラディミール・ゲレロも、さらには夜間照明に銀髪を輝かせながら始球式のマウンドに登っていくジョー・ディマジオも__。
なにもかもが、二階席からの眺めだ。それだけではない。幻覚とそしられることだろうが、私はときおり二階席から、過去の野球とも交信する。少なくとも、交信した気になっている。いつもいつも妄想を放し飼いにできるとはかぎらぬにせよ、これは楽しい。野茂英雄とルイ・ティアンが、イチローとサム・ライスが、松井秀喜とビリー・ウィリアムスが一挙に結びつくのはこんな瞬間だ。
二階席からの眺めは、思いがけない発見や言葉を、私にもたらしてくれる。
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