まえがき
かつて『噂の真相』という雑誌があり、そこで私は「メディア異人列伝」というインタビューを連載していた。本書はそれをまとめたものである。
連載中、「『噂の真相』で仕事をしているんだ」と話すと、「うわぁ、こりゃまた、すごい雑誌で」と驚かれることがしばしばあった。なかには「ああいう雑誌に関わるのはよしたほうがいいよ」と忠告してくれる人も何人かいた。「危なくないか?」と言われたこともある。『噂の真相』には、スキャンダラスでどぎつい雑誌というイメージがあった。
だが、誌面をよく読むと、出版社系の週刊誌や月刊総合誌に比べて「ことさらすごいこと」が書いてあるわけでもない。たまたま扉のイラストがショッキングなのと、一般の週刊誌・月刊誌がほとんど扱わない、作家のスキャンダルやゴシップ、出版社をはじめメディア企業のスキャンダルが書かれていたため、そういうイメージができあがったにすぎない。
たしかに他の雑誌に比べると、ウラ取りが甘いきらいはあった。ウラ取りとは、記事の裏づけ取りである。たとえば政治家のスキャンダルをつかんだとする。一般の週刊誌では、最後の最後に政治家当人に質問をぶつけ、確認を取ろうとする。それが否定であれ「ノーコメント」であれ、とりあえず当人に確認をした(あるいは、しようとした)という形式を整える。あるいは、複数の情報源にあたってクロスチェックする。ウラ取りが不十分な場合は、載せるのを見送ることが多い。
だが、記者は取材経験を重ねるうちに、嘘と本当を見分ける勘のようなものが働くようになる。「これは確実だ」という感触がありながら、ウラを取りきれずにボツにするのは、記者にとってずいぶん悔しいことだ。そうした「ネタ」が『噂の真相』に持ち込まれていた。
「だいたい(記事にして)大丈夫」という、じつにアバウトなところで誌面化していたから、間違いもあった。それが多いか少ないかは、考え方しだいだ。ウラを取っているはずの新聞やメジャー週刊誌だって、誤報は皆無ではないし、誤解や曲解は数知れず。五十歩百歩ではないのか。
ただ、誰を取り上げるべきか、その線引きが『噂の真相』ははっきりしていた。もちろん同誌の場合、「取り上げる」というのは「叩く」を意味する(岡留安則編集長は「からかう」と捉えていたようだけれども)。公人は取り上げる、私人は取り上げない。公人というのは、政治家、官僚、財界人、芸能人。そして「みなし公人」という存在がある。「みなし公人」とは、マスコミ業界人や作家、著名な学者など。もっと大ざっぱな言い方をすると、メディアに登場することでトクをする人が公人およびみなし公人で、それ以外の人は私人だ。もっともボーダーライン上の人びとというのも存在する。マスコミ業界人でも、大出版社のメジャー誌の編集長は公人扱いで実名を書かれるが、一般の編集部員なら名前は出ない。デスクぐらいならイニシャルのみとか。はた目には大差ないかもしれないけど、岡留はそのへんにこだわった。
私人については取り上げないという方針は、とてもいいと思う。たとえば世間の注目を集めるようなひどい事件が起きると、一般の新聞や週刊誌は被害者の私生活についてまであれこれ書き立てる。写真まで載せちゃって。たとえば、幼い子供も含めて一家全員が殺害されるという陰惨な事件が起きたとき、被害者の夫婦がどこでどう知り合って結婚したのかなんていうことをほじくり返して記事にしていた週刊誌があった。我が身に置き換えた場合、殺されたうえにプライバシーまでさらされるなんて、これでは死んでも死にきれない。しかも桶川市で起きたストーカー殺人事件のときのように、警察が自分たちの失敗を隠蔽するために、あたかも被害者にも殺されるべき理由があったかのような偽情報を意図的にリークし、メディアがまんまとそれに乗せられるなんていうことも起きている。犯罪被害者のプライバシーということに関しては、一般の新聞や雑誌に比べると『噂の真相』のほうがはるかに上品だった。
「メディア異人列伝」で誰に登場してもらうかは、毎回、担当編集者と相談して決めていた。お互いに何人か候補者を挙げ、編集者はそれを編集部に持ち帰る。編集部で議論した末、最終的に候補者を決めて編集者が交渉する。私が挙げた候補者が編集部で否決されることも少なくなかった。誌面に登場してもらうからには、その人について『噂の真相』が肯定的に評価できる面のある人でなければならない、というのがその理由だ。ようするに、私が「あの人はいいなあ。話を聞きたいなあ」と思っても、編集部(というよりも岡留安則とK副編集長だと私は睨んでいるのだが)が「あんな人はダメ」と言われると実現しない。逆に、私にも拒否権があって、編集部が「この人でいかがですか?」といってきても「やだよ」と断ることがあった。私としても、どこか肯定できる面がある人でないと、いいインタビューにならないという思いがある。
人選で悩んだのは女性だ。できるだけ女性にも登場していただきたい、男女半々ぐらいになれば、と思ったのだけれども、なかなかうまくいかない。文芸や漫画の世界では女性も活躍しているが、それがジャーナリズムや評論になると少なくなる。比較的女性が進出しやすいといわれるメディア界でも、圧倒的に男性優位なのだ。
ただし、こちらが勝手に候補にしても、取材に応じてくれるとは限らない。やはり雑誌のイメージが災いしてか、断られる確率は高かった。もちろん「あんたのところの雑誌は大嫌いだから出たくない」とストレートに言う人は稀で、たいていは「忙しくて時間がとれない」という理由が多かった。応じてくれた人のなかにも「取材依頼の電話があったとき、何がばれたんだろうと焦りました」とか、「どんなことを聞かれるのか、ドキドキしました」と話す人がいた。半分は冗談としても、やっぱり雑誌のイメージはそういうものだったらしい。
ただ、「メディア異人列伝」は人の悪口をいうページではない。私としては、その人の人物像をできるだけ正確に伝えようと、誠心誠意つとめたつもりである。いや、ほんと。ときにはちょっと皮肉が混じることがあったけれども、貶すために書いたことは一度もない。『噂の真相』における位置づけもそうで、編集部から「辛口で書いてください」と言われたことはないし、それどころか「あまり皮肉を書くと出てくれる人がいなくなるから……」と忠告されたことがあるくらいだ。それどころか、それどころか(いま思い出した)、岡留安則はあるとき「あのページはこの雑誌で唯一のヨイショのページだからね。アハハハ」と笑っていたことさえあるのだ。私は「辛口より甘口」をモットーとするライターであるが、それを「ヨイショ」だと思って書いたことは一度もない。さすがにこの岡留の言葉にはムッとした。書いている本人に向かって編集長が「ヨイショのページ」ということはないじゃないかと思うが、彼にはそういう鈍感なところがある。この鈍感さとアバウトさこそが、『噂の真相』を四半世紀やってこられた秘密であるのだけれども。
最近はマイナーな雑誌でも海外取材がめずらしくないのに、『噂の真相』ではめったに出張がなかった。したがって、「メディア異人列伝」でもほとんどの取材は都内か近郊に限られる。地方在住の人の場合は、たまたま東京に来たときに時間を作ってもらうようにしていた。いちばん遠くが湯河原。温泉旅館でカンヅメになっている小嵐九八郎に会いに行った。帰り、湯河原の駅で編集者が「編集部におみやげを買って行かなきゃ」と言いだしたのには呆れた。熱海・湯河原なんて、通勤圏ではないか。バブルのころは新幹線通勤が流行って、定期代を出す会社もあったのに。干物なんか買って帰ってどうする。湯河原の次に遠かったのが藤沢周の横浜(駅のとなりの東急インのカフェ)と辺見庸の川越(これまた駅のとなりのカフェ)だ。メディア界がいかに東京ローカルなものかがわかる。
取材した133人のなかには、その後、亡くなった人もいる。安原顕、遠藤誠、野沢尚。ヤスケンと遠藤については、癌だということがすでに知らされていたから、残念には思ったけれども、「ついに」という感の方が強かった。野沢尚が亡くなったときは衝撃だった。たとえ取材であれ、一度でも会ったことのある人が亡くなるのはいやなものだ。
連載時は、インタビュイーの写真が載っていた。撮影するのは編集者である。新聞社なら新人研修のときにカメラの扱い方から暗室技術まで覚えるのだけれども、『噂の真相』にそんな余裕などない。安っぽいコンパクトカメラに12枚撮りのネガフィルムを入れて撮っていた。いちどなど、カメラを忘れたからといって、キヨスクで買った使い捨てカメラ(正式にはレンズ付きフィルムというらしいけど)を構えて、相手を不安にさせていた。
藤原新也に取材したときは、見るに見かねてか、カメラの構えかたからシャッターボタンの押しかたまで指導してもらった。それでも編集者の撮影技術は向上せず、毎月、実物よりもかなり写りの悪い写真が掲載された。ご登場いただいた方々はさぞ不愉快だったと思う。
『噂の真相』は2004年の春に休刊した。休刊がこれほど話題になった雑誌も珍しい。「惜しまれつつ」という言葉がまさに当てはまる。売れ行き不振や経営上の問題ではない、という点も、よけい惜しむ声を大きくした。廃刊ではなく休刊としたのは、権力に対する牽制ということだが、復刊の噂がしょっちゅう囁かれるのは、関係者としても本望というべきだろう。
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