あとがき
食べるってすごいことだと思います。18歳までずっと食べつづけてきた母の手料理の味は教わることなくても全て再現できます。数字やマニュアルではない味覚の記憶が、さらなる料理を生み出します。そして今、教えもしないのに娘が私そっくりな味付けの料理を作るのが面白くて。教室では生徒に実によく料理を試食させます。大さじ1だの半カップだののマニュアルはすぐに忘れてしまうけど、一度でも食べたことのある味は忘れることはないからです。頭で覚えるより体と食べることで味を習得してもらいのです。記憶にある味は独自の感覚と工夫で必ず作りだすことができます。ですから、感性豊かな若いうちに本物の食べ物を経験してほしいのです。年取ってから気づいたことですが、若いうちの肉体感覚は寛容で柔軟です。しかし、今まで生きてきた年月より、今後の時間の方がずっと短いであろうという年代になると、頭では理解できても肉体感覚はかたくなになります。「若いんだから習うより食べろ」というのが私の持論と実践です。
私が開いているのは、自然発酵種のパンづくりを主体にした教室ですが、ありとあらゆる料理、そして日本の伝統食のはてまで全てを20代、30代の若い世代に手渡しています。餅つき大会まであるのです。日本人でありながらつきたての餅を触ったことのない人が増えている。手水を知らずに素手で直に餅に触れ、ゴキブリホイホイ状態になってもがく人、打粉のでんぷんを使いすぎて食べられたものではないものを作る人。抱腹絶倒のどたばた劇の後は皆、やけに満足げに自ら傑出した珍作を嬉しそうに食べています。上手に餅を扱える年配者より、初めて触れた無様な餅を美味しそうにほうばる若者たちに未来の価値を見いだします。若い生徒たちが見よう見まねで梅干しや沢庵や干物などを作るのが、私の大自慢と宝です。
「食育」とか「スローフード」とかいう言葉は人様が生み出した言葉なので極力使いたくはないのです。私はウチの教室を「肉体派すきま産業的料理教室」などと、ちゃかしています。上手である必要も、理屈も必要ないのです。自分でやってみろ、心で感じてみろ、と望むだけです。巧くいくより、失敗する方が勉強になる。だから、若いうちになんでもやって、どんどん失敗して、たくさん悔しい思いをしてください。そして、それでもめげないでください。失敗や悔しさがあるから、次のベターが生まれる可能性を孕むのです。それが一番素晴らしいこと。食べ物作りって、命に対するラブレターみたいなもの。ラブってね、「生きろ!」という祈りだと思ってる。そしてね、それが一番美しい。
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