渚は、平等性を確保される場所です。漁師たちが地引き網をするとき、小さな容れ物を持ってそこへ行くと、漁師たちは同じように分けてくれます。これは、労働の平等性と同時に平等の分配性にも従っているわけです。渚の漁撈に加わった者に対する平等感覚が、昔から伝統的にあったのです。海岸だけでなく、山でも狩猟に居合わせた者にも分配します。このように、狩猟にしろ漁業にしろ、平等性をもった行為が行われていて、そこには階層的な秩序や力の強弱はありません。……
私はこうした考えから、幾千年もつづいてきた人と渚の関わりあいの歴史を踏まえて、渚の破壊が日本人の未来にとって、とりかえしのつかない喪失であることの意味を本書で訴えたいと思います。
ここにその一例として九十九里浜のことを提示することにします。
九十九里浜は、千葉県の飯岡町の刑部岬から岬町の大東岬まで、約六六キロにおよぶ弓なりの浜で、日本でも代表的な砂浜のひとつです。九十九里の名の由来は、古くは六町を一里としたところから名付けられたと、慶長年間の古記録に見えます。
その九十九里浜は現在ではまったく昔日の面影を失っています。昔日といってもたかだか三十年前のことに過ぎません。今日刑部三崎から海岸道路を南下するにしたがって、波の浸蝕を受け、いたるところに護岸工事の行われているところが見受けられます。砂浜は寸断され、なかには砂浜が消滅してしまっているところも少なくありません。……
1960年代までに九十九里浜には、今では夢のまた夢になってしまいましたが、すばらしく活気をもった世界が展開していました。……
地元の漁民は、フナガタと呼ばれる男たちやオッペシと呼ばれる女たちが、それこそ腰や胸まで波に浸かって、船を押し出し、曳綱をもって船を引きあげたのでした。渚は全力をふりしぼって挑む漁民の壮絶な戦場となりました。……(「序 民俗学から見た渚とのかかわり」)