なぜこの本を書いたのか?
これは、統合失調症にかかった一人の人間の体験だ。このところぼくは、だいぶよくなっている。ただし、治癒はしていない。
ずいぶん幼いころからずっと、ぼくは絵を描くのが好きだった。コンピューターを使って描く技術は、あとから習得した。この本には、ぼくの経験を別の角度から見る窓口として、また過去を振り返るものとして、デジタルの絵が幾枚か含まれている。全部並べれば、つみかさねた時間を視覚的に示す年表ができるはずだ。
また、インターネットから取りこんだ、統合失調症についてのメッセージも挿入することにした。短いものもあるが、どれも心からの気持ちを表すこれらのメッセージは、患者と世話をする人、双方に見られる共通の問題を浮き彫りにすると同時に、精神病の体験は一人一人異なることをきわだたせる。なお、プライバシー保護のために、書き手の名前は伏せてある。
精神の病気は誰にでもふりかかり、多くの場合、壊滅的な影響を与える。現在では、治療可能な病気であるにもかかわらず、誤解されたまま手をほどこされずにいる患者も多い。この本によって、精神病の分かりにくい部分や偏見が少しでも解消され、直接間接に影響を受ける十パーセントの人々が、必要とする思いやりと介護を受けるために役立てればと願っている。
一九九四年八月 別世界
ぼくは裏通りにうずくまっている。ここならやつらにはわからない、だから今のところ安全だ。秘密のメッセージを吐き出すスピーカーは何百とあるにちがいない。それに、ぼくの一挙一動を追う無数のビデオカメラも。寒い夜だが、体はほてり、肌はかすかな空気の動きをも敏感に感じとる。目の前の石塀は数々の陰謀の縮図だ。線と線、連想、偶然の一致。しかも石塀は濡れていて、その光沢は宇宙のようだ。
ぼくは小用を足す。もう少しで終わるころ、高圧的な声が聞こえる。「やめるんだ、まぬけ、さもなきゃ父さんがガンで死ぬぞ」ぼくは必死で無視しようとする。反応したら、聞こえたことがわかってしまう。そしてやつらは計画を次に進める。何もわからない風を装わなければならない。そうすれば次のメッセージはもっとはっきりしたものになり、ぼくを苦しめるやつらを捕まえられるかもしれない。やつらを安心させてはならない、やつらに読まれるのは絶対にいやだ。
ぼくはごみ捨て箱のそばにかがんでいる。猫が一匹、怪しげにじっと見ている。エジンバラ城が見える。祭りのためにライトアップされている。やつらはぼくを縛り上げ、足を水につけて、ヤギに足を骨までしゃぶらせるつもりだ。前日ツアーガイドに聞いた拷問の話と同じように。
ぼくは毎日、秘密の計略の解明に近づいている。共時性のあるできごとは、何か巨大で不吉なものの輪郭を示しているが、その中身まではわからない。本質を探るには、仮想ファイルをひとつ見つけなければならない。人影が通り過ぎるたび、その人たちが鍵を握っていると思う。けれどもぼくはむやみに介入はしない。やつらの不意をつく準備ができれば、機会はいくらでもある。
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