プロローグ
一九九六年二月二五日、ペンシルバニア州パリービルに住むジム・コールマンは、『パレード』誌のコラム・ライター、ウォルター・スコットに手紙を書いた。『突撃』『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』などの映画で国際的に知られるスタンリー・キューブリック監督は、一九八七年の『フルメタル・ジャケット』以来映画を公開していない。コールマンは、世界中の多くの人がキューブリックを映画の救世主として見て、新しいスタンリー・キューブリック作品を渇望している、と例をあげていった。「かつてこの国で映画を製作していたもっとも偉大な監督に何が起こったのか」とコールマンは書いた。スコットは、実現しなかったプロジェクトを紹介し、ワーナー・ブラザース社がこの夏にキューブリックが新作に取りかかると発表するであろうという希望的観測などを示して、老練かつ直接的にその質問に答えた。しかし、コールマンの質問にはもっと深いものが暗示されていた。
グレタ・ガルボ、ハワード・ヒューズ、J・D・サリンジャー、トマス・ピンチョンなどと同様に、スタンリー・キューブリックは高名な世捨て人だった。キューブリックのあまりに有名な秘密主義、取りつかれたような完璧主義、映画毎の大きな相違は、いかがわしい話を次から次に生み出し、本人以上の神話を生み出し続けている。
キューブリックの伝説では、一心不乱で、冷酷で、些細なことにこだわる映画的天才、自宅に閉じこもり、旅行せず、恐怖症にとりつかれた男ということになっている。本書は、生存する最も偉大な映画監督(訳者注 本書は出版された一九九七年にはキューブリックは生きていた)であろう人間を理解するための調査から始めた。
その旅は、一四歳の私が友人と映画に行ったときにさかのぼる。私はテレビで繰り返し放映される『キング・コング』、ジェリー・ルイス、エルビス・プレスリー、聖書史劇、ディズニーの名作アニメーションなどの映画を見て育ち、地域の映画館で上映される映画ならどんなものでも見た普段は時間つぶしとか娯楽のために映画を見る。ニューヨーク州クイーンズのサニーサイドの映画館で、その日われわれが見ようとした映画が、『博士の異常な愛情 又は私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』であったことを前もって知っていたとは言い難い。姦通をしているような二機の軍用機の白黒の映像がスクリーンをよぎると、エルビス・プレスリーの映画を見ているわけではないことは私にも分かった。その映画は、私がこれまで見た映画とはまったく違っていた。六年後、私はニューヨークのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画を専攻し、『突撃』を見た。塹壕の悲運の彼の部下の指揮するダックス大佐役のカーク・ダグラスの冷酷なトラッキング・ショットは忘れられないものとなった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)でこの監督の初期の作品を追い続けるとともに、キューブリックがわれわれのために出してくれるものを待ち続けた。それが一九七〇年代初頭、ジーグフェルド・シアターで上映された『2001年宇宙の旅』であり、この映画に導かれて本書を書くことになった。このような映画を私は知らなかったし、これからも知ることはないだろう。
本書はスタンリー・キューブリックの関する初めての包括的な評伝である。私の目的は、ニューヨークのブロンクスでの誕生に始まり、長きに渡る映画の成功を経て、世捨て人といった実像とは異なるキューブリックの最近のイメージをたどり、そういった神話を粉砕するとともに新たな神話を形成することである。四年間に渡る周到な調査と、キューブリックと面識があったり働いたことがある人物とのインタビューを行った後に、私は一人の男をクロスフェードする神話を見ることになった。
これは彼の歴史である。
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