あとがき──恋愛のような旅そして物語
旅は恋愛に似ていると常々思っている。
たとえば、初めての地へ旅立つ時は、まるで会ったことのない文通相手に会いに行くかのごとく胸が高鳴る。すでに訪れたことのある地へは、秘密の恋人との逢瀬のような気持ちになる。旅先で、日常とは異なる風景や土地の人々に包まれている瞬間など、幸せで息が止まりそうなほどで、この気持を何かにたとえよと言われれば、“恋愛”以外に思いつかない。
飛行機を乗り継ぐような長いものから、ちょっと散歩コースを変えてみる程度の小さなものまで、旅の範囲は広い。日常の中で新鮮な存在にふと触れる瞬間のそれぞれが旅なんだなと感じるとき、その場所その匂いその風景がたちまちのうちに愛しくなってしまう。
もちろん、人との出会いのすべてが恋愛ではないのと同じように、旅だと認識したものの全てに恋焦がれるわけではない。けれど、そこに立って心の隅っこが喜びや驚き、疲れや面倒くささなどで少しでも揺れたら、決して忘れることのない“何か”になる。
物語は、そこからはじまっていく。幼い頃の記憶、家族の他愛もない話、ふと気づいた日常のささやかなことがら、遠い地でのめくるめくような恍惚感、果ては嘘や夢の残像と、あらゆることが私を形成する要素として存在し、私という物語の細胞としてくっついたり離れたりしながら、今も息をし分裂し続けている。
書く作業もまた恋愛であり、旅である。
黙々とパソコンのキイボードを打っていると、焦りと安心感が混ざり合ったような奇妙な感情に支配されている自分に気づく。キイはある時はすいすいと言葉を生み出していき、またあるときは何時間もだんまりを続ける。それは、煮え切らない恋人と居るときの状態や、旅の途上で、行き先の定かでないバスに乗ってどこで降りようか思案している時に似ているようでもある。
パソコンの画面に表示される文字は、“恋愛”の果てに生まれた子孫だ。私という遺伝子を持った子孫がどんな物語に成長するのか楽しみに、カタツムリのような遅い歩みにじりじりとしながらも、今日も自分の部屋でキイを叩く。私のささやかな人生を写し取った文字たちは、いつか物語になるまで、白い背景の上で愛しげに笑いかけ続けるのだろう。
最後に。本書の軸である晶文社のHPでの連載「旅の部屋から」は、もともと亡き父、中上健次の公式ホームページCAPEに載せていただいていたのが、途中から晶文社ワンダーランドとの同時掲載になったものである。くしくも父の十三回忌にあたるこの年、父から始まった小さなエッセイが一冊の本になったことは、私にとって幸福な展開であった。
最後まで熱心にアドバイスして下さった晶文社の安藤さん、そして、きっかけを作ってくださったCAPEの関根さん、MYCOM PC WEBの古林さんをはじめ、本書を作るにあたってお世話になったすべての方々に、心の底からの感謝の意を表したい。
中上 紀 |