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まえがき
これは築二十年目に全面的リフォームに踏み切ったわが家の“改築ドキュメント”です。私たち夫婦が、本格的に改築を思い立ったのは、周到な準備があってのことではありません。何年もここを直したい、あそこをこんな風に変えたいというような漠然としたリフォームへの意志はありました。しかし、実行に移したのは、思わぬきっかけからでした。家を改築するなんて、そんな面倒なことを私たちができるだろうか、そう思いつつ、時間が過ぎていったのです。実行してしまったことがむしろ不思議な気がします。
それに私たちにあるのは、時間のゆとりだけ、肝心のお金のゆとりはなく、「よし、やろう!」と決めてしまったのです。当然いろいろな制約がありました。「終のすみかを作る」というと、かっこよく聞こえますが、要するに高齢期を目前にした夫婦が、無謀にも思い立ったとしか言いようがありません。
まさに、思い立ったが吉日で決行したのです。しかし、それから完成までの約十ヶ月間は、実に楽しい経験でした。設計者にとっても、また、工事を請け負う建設会社にとっても、リフォームは実に厄介な仕事だったと思います。にもかかわらず、私たちの迷いや希望を汲み取って、居心地のいい空間へと誘導してくれたのが、ベテランの設計者夫妻でした。
私たちの試行錯誤に、誠意をもってつきあってくれた設計者との出会いがなければ、古い家に新しい息吹を吹き込むことはできなかったでしょう。そして、設計を現実の形に仕上げてくれた建設会社の職人さんたち、現場監督をかねた社長さん、みんな心の通じ合う人たちであったことが幸運でした。一緒に家作りに参加したという思いがしています。
二十数年前、初めて家を建てたときは、高齢の父と二人の子どもとの五人家族で、家作りにもさまざまな要素を取り入れなければなりませんでした。しかも、サラリーマンの夫は、年齢的にいちばん忙しい時期でしたから、ほとんどのことは私にまかせられ、私の主導で進行しました。それに比べれば、こんどの改築は、その頃よりずっと時間もあり、夫婦で共に参加することができました。何よりも自分たちのことだけ考えていればいいというのが、ずいぶん気持ちをらくにしてくれました。
同時に自分たちがこれからどう暮らしていきたいのか、何をしたいのか、そしてからだが弱って身体的に自立できなくなったとき、どうするか、さらなる老いに向けてのプロセスを真剣に考える機会を与えられました。このことは、今後の私たちの人生にとって、なかなか貴重な体験だったと思います。
家の改築の動機はさまざまでしょうしだ、その規模もいろいろ、それによって予算も違ってくるでしょう。こうしたごくごくプライベートな体験が、そのどれもに当てはまり、参考になるとは思いません。でも私が改築しようと決心したのは、友人たちの体験談だったことを思うと、何がしかは、共感をもって読んでいただけるのではないかと、期待しています。
この改築ドキュメントを書きながら、私は何度も立ち止って「住む」ということについて、考えざるを得ませんでした。「住む」という人間の基本的な行為について、「私はこんな住み方をしたい」と、もっと言うべきだと思うのです。心身共に安心して「住む」には、個人の力では及ばないことがたくさんあります。統計の数字を見るまでもなく、事故につながる家の中の危険は真っ先になくさなければならないでしょう。また、国際長寿センターの調査(二〇〇三年三月)によれば、全国六十五歳人口のうち九割以上が、自宅に住み続けていることを考えると、高齢になったり、障害を持ったりしたとき、スムーズに対応できる家作りが、住宅施策上も重要になってくるでしょう。介護保険制度が、当初の施設介護より住み慣れた家での在宅介護という目標から、実際にはそれて施設へ施設へという希望が殺到するのも、介護しやすい住宅環境が整わないことも大きな原因の一つです。それなら行政は、住宅改修にもっと力を注いで欲しいと思います。「安心に住む権利」は、これまで日本人がせっせと励んできた持ち家志向から抜け落ちてきた視点ではないでしょうか。
改築を終えたいま、考えることは、リフォームを思い立ったときがチャンス、年齢制限などありません。体力の足りないところは、補ってくれる便利なシステムや道具が揃っています。老後に向けて、できるだけ長く自立して暮らしたいという意志さえあれば、そしてそれを実行に移す予算が捻出できれば、リフォームは可能です。
私たちにとって、リフォームは一大エンターテイメントでした。頭の中が真っ白になるような引っ越しの苦労も、いい思い出になりました。うれしかったのは、この家作りをめぐって広がった人の輪です。その人たちとのおつきあいが、いまも私たちを勇気づけてくれています。「直してよかった! ほんとうに」。
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