あとがき、より


 このあとがきを書く段になっても、晶文社から自分の本が出るというのがまだ信じられません。
「いや、冷静に考えたら、この話ちょっと無理だから、なかったことにして」と、にこにこしながら中川六平さんが言い出すのではないかとびくびくしています。
 晶文社はずっとあこがれの出版社でした。初めて晶文社の本を見かけたのは、高校生の頃のことです。学校をサボって、よく新宿の末広亭に出かけていました。昼席の始まりから夜席のトリまで、一日過ごすことがよくありました。末広亭が開くまでの午前中の時間をつぶすのは、新宿の紀伊國屋書店でした。そこで晶文社の本に出会ったのです。手に取った本が何だったのかは忘れました。貧乏高校生の小遣では少し高いと感じたのだと思います。しかし、真っ赤な帯と太いゴチックの書名、写真を大胆に使ったデザインの本たちが並ぶその一隅は、なにか新しい動きを予感させました。
 それから間もなくエンツェンスベルガーやドブレやニザン、パヴェーゼやベンヤミンや、植草甚一や小林信彦や片岡義男や、なんやかや、もうつぎつぎに洪水のように襲ってきたのです。読んだのはその中のほんの一部です。それでも、晶文社の本は、現代思潮社の本とともに、私たちの世代にとって特別な思いをかきたてるものでした。現代思潮社が八〇年代になるとほぼ活動を休止したのに対して、晶文社はそれからもずっと知的刺激を送り続けてきました。まさに継続こそ力なり、と感じさせるものでした。
 私自身はそんな晶文社を遠く見つめながら、出版業界の片隅で生息してきました。大日本印刷の深夜バイト(これは日払いで、仕事が終えた朝にお金をくれました)とか、編集プロダクションで働いたり友人の出版社を手伝ったり、取次の日販の返品受け入れ所でバイトしたり、サンリオとは五年に渡って労働争議を闘うことになったり、まあ、川上から川下まで、いろんなことをしてきました。経験してないのは、新刊書店の店員さんという一番当たり前の仕事だけかもしれません。
 そして今、有為転変の末に古本屋となっているわけです。この日記の最初で、数年後にはどうなっているかわからない、と書いてますが、二年半続けてきて、今の気分としてはずっと続けて行けそうな気になっています。自分で仕切れることの面白さ、みたいなものが自営業にはあって、その自由さを得難く感じ始めているのです。そして扱う古書自体の面白さについては、まだほんのとばくちを覗いただけですが、奥深さの片鱗は市場に並ぶ本の多様さを眺めているだけでも十分に感じられました。
 これまで文雅新泉堂が続けてこられたのも、たくさんの人の支援があったからだと思っています。最初にネット古書店の面白さを教えてくれた北尾トロさんとその仲間たちにまず感謝します。そして、左も右もわからない私を親切に指導していただいた神奈川古書組合のみなさん、東京の市場でお目にかかるみなさんには、これからもお世話になることと思います。どうぞ宜しくお願いします。また、文雅新泉堂に注文を寄越してくれたすべてのお客さんにも感謝。
 そして、本書が成るにあたっての最大の尽力者・中川六平さんに、深く頭を垂れて感謝します。中川さんがいなかったら、この日記が本になることなど、決してなかっただろうと断言できるのですから。どうもありがとうございました。