音について知ることは、その音響的な性質を発見することのみならず、もっと大切なこと、音に付随している複雑な条件について学ぶことでもある。深夜まで続いたあるパーティで、私たちの小さなグループが生い立ちについての話を始めた。そのグループの気安さから、それぞれの新しい物語は以前より個人的なものだった。このまたとない機会をとらえて、ある友人が自分はじつは兄に大変に感謝しなければならないのだと公表した。わたしたちは彼を見つめて、待った。兄は……と友人はゆっくりと始めた、自分にもっとも価値のあることを教えてくれたという。トイレで正しく小便をする方法を!
 このグループは大爆笑。友人はさらに話を続けることができると悟った。子どものころ、兄は彼にこう説明したのだ。小便をするときには究極といえるくらいに注意しなければならない。あの流れをあそこに流し込むときの音は、そうとう迷惑をかけるものなのだと。つねに向かう先は陶器でないといかん。友人が必然的な受け入れ先と考えていた、水のところに向けるのではないという。もしこうした責任を怠ったら、人々は彼をたいへんなけんまくで怒り、彼は恐ろしいことになるだろう。わたしたちのために彼は自分の無垢な、目を大きく見開いた反応を再現してみせた。そうした音がそれほど嫌な音とは夢にも思っていなかったし、ただ小便をするという行動なのに自分がそんなに非難を受けるなどという考えにぞっとしたのだ。
 私たちは笑い疲れるまで笑った。この彼が再演した目を大きく見開いた少年のことはだれもが知っていた。私たちの仲間だ。