もしカーシュに会ったなら
西崎 憲

 もしカーシュに会ったなら、いったい何を訊こうか。異常な名作「豚の島の女王」の想はいかなる場所でいかなる時に得たか、「ブライトンの怪物」に現れる怪物のもとになった人物は存在するのか。ビアスの短篇では何を推すか。「無学のシモンの書簡」のなかの老人の正体はどう考えるのか。なぜあのような虚空に置き去りにされたような寂しいアトモスフィアで書かなければならなかったのか。「乞食の石」があったハンガリーの荒蕪もきわまった荒れ野を旅したことはあるのか。
 カーシュはもしかしたらそれらの質問に答えてくれるかもしれない。バーの止まり木にすわって広い肩をゆすり、白く傷跡の残る顔に笑みを浮かべて答えてくれるかもしれない。
 だが、日本人の翻訳者である僕に向かって、カーシュはこうも言うかもしれない。
 「ははは、ミスター翻訳者君、あれはみんなただのでまかせさ。一瞬、僕の頭のなかを掠めていったつむじかぜさ。本気にするんじゃないぜ」
 大きな男だけが出すことのできる低く厚い声でカーシュはそう言うかもしれない。その掌のなかでは大振りなウィスキーのグラスもとても小さく見える。
 いましがたの言葉を信じられないでいる僕を残して、元レスラーの高貴な蛮人はゆっくりと立ちあがる。そして僕に言うだろう。
 「ありがとう、ミスター翻訳者君、少しの時間だが、きみと話せて楽しかった。でも、また頭のなかでひとつつむじかぜが生まれたらしい。文字にしてくれと五月蠅いので、書斎に戻るよ」
 ジェラルド・カーシュはそれから悠然とした足どりでバーのドアから出ていくに違いない。そして僕は思うのだ。「カーシュさん、できればいま生まれたそのつむじかぜも、僕に訳させて欲しいですね」そう、夢のなかで僕はそう思うに違いないのだ。