あとがき

 手術から、二年近く経つ。
 この間、がんを患ったことは、公にしないできた。虫垂炎と語ったこともある。
 そのことをまず、読者にお詫びする。
 
 文章中、入院先をはじめ、治療を受けている病院や医師の名は、出していない。医師には、患者である私に、話していないこともあろう。私もまた、すべてを理解しているとは限らない。なので、ここに書いてあることで、治療を判断されてほしくはないとの思いがある。
 ただ、竹中文良氏については、著作をしばしば引いていることから、実名にした。
 
 がんについて書きたい気持ちがふくらんできたのは、手術後、八ヶ月ほど過ぎてからだ。
 しかしまだ、葛藤があった。
 別のテーマのエッセイを執筆しているときは、がんのことは、まったくと言いきれるほど、忘れている。その間だけは、頭からいっさい、なくなるのだ。
 その逆で、がんについて書きはじめれば、来る日も来る日も朝から晩まで、そのことばかり、考え続けることになる。それが自分の心身に、いかなる影響を及ぼすのか、計りかねた。
「自分にとって終わっていない、現在進行形の問題を、書く作業にのめり込んでは、欝になるのではないか」
 との恐れがあった。
 一方で、こうも考えた。
 この本に、とりかからないうち再発し、書くことができなくなったら、取り返しのつかない後悔になる。
 再発したら、急速に進行することも、年齢的にじゅうぶんあり得る。
「私には、キーボードに向かえる時間が、あとどれだけあるかわからないのに、できるうちにしなくて、どうするのか」
 迷う背中を押すことになったのは、たまたま読んだ、本の中の言葉だ。荒川洋治さんの『日記をつける』(岩波アクティブ新書)である。

   ひとつの気持ちを文字にするときには、人は自分を別の場所に移しているものだ。

 はじめてみれば、まさにそうだった。検査から、告知、入院と進む中、そのときどきの自分にとって、何が課題で、それについてどう感じ、考えてきたか。心はいかに変遷してきて、何はずっと変わらなかったか。あきらかになるのを感じた。
 私にとっては、欝になる方向とは、まったく逆にはたらいた。書くことの「効用」と言おうか。現在進行形の出来事ではあっても、文字に定着していくことで、自分にとって、過去のことにできるのだ。 

 書いている何ヶ月間かは、
「これを終えるまでは、絶対に再発したくない」
 と念じていた。
 がんで死ぬのはむろんのこと、交通事故も、往来で角材が倒れかかってきて後頭部を直撃、なんて死に方も、許せないと思っていた。告知を受けた帰り、何が何でも命を落とすまいと、道を渡るごとに車を睨みつけていた、あのときと同じに。隕石だって、
「私の上にだけは、間違っても降ってくるなよな」
 と。同時に、書き終わるのが、怖くもあった。なんとしても為し遂げたい目標を達成してしまったら、張り詰めていた精神状態が、いっきに緩み、病に対し、受容的になってしまうのでは、と。  
 それについても、支えとなったのは、ある人の言葉である。
 サポートグループに出ていたときのこと。
「死」が話題になったとき、私は言った。
 自分には、これからはじめるつもりでいる、どうしても実現したいことがある、と。
 がんについて書きたい気持ちは固まっていたが、まだ、とりかかってはいなかった。
 実現には、半年くらいかかると思うけれど、それまでは、私は死ぬわけにはいかない、と。
 すると、同席していた年かさの患者の男性が、即座に、力強く言ったのだ。

 そういう人には、それが終わっても、次、また次と「これをするまでは、死ぬに死ねない」という目標が、必ず出てくるから、だいじょうぶ。

 その言葉を今も、胸に刻みつけている。