「見えぬ『自己への信頼』――12歳の性と死」より

(渋谷で行方不明になった四人の女子小学生。長崎で幼児を死にいたらしめた12歳の少年)
 これらの事件の向こうに何が見えるか。著者の芹沢俊介は、こう書き進めていく。
 三つのことを言ってみたい。一つは母子関係について、子どもは常に緊張を強いられていたらしいこと、言い換えれば子どもにとって家庭が少しも安心して・安全に・安定的に自分が自分でいられる信頼的環境になかったことだ。もう一つは、このようなふるまい(注・長崎の少年の場合、母親の意向を汲むことのできる〈いい子〉であった。少年の父親も「家で不満をいうような子ではなかった」と述べている。そんな子どもたち)をみせる子どもの話をここ十年、しだいにあちこちで聞くようになったことだ。
 そして、三つ目はそのような環境に置かれているゆえに情緒不安の現実を示す4歳児を叱責(しっせき)や指導はしても、誰ひとり正面から受けとめ、抱きしめ、不安を鎮めようとしたふしがなかったということだ。
 大人への信頼感は子どもが自己への信頼を培うために不可欠な人間的環境である。だが否定のまなざしだけを向けられ続けてきた子どもは、逆の不信感だけを育てていった。自分に打ち勝つ自分を培うための環境を手に入れることができなかった。事件はこうしたことを基底に起きた、そんなふうに私は考えようとしているのである。