古くて新しいテーマ。それは、私たちを取り巻く家族観である。どういう人と暮らすのか。子どもは必要なのだろうか。老後は、どう考えたらいいのだろう。子どもにとって安心できる家族とは……。
 こうした問いに一貫して取り組んできたのが、評論家の芹沢俊介さんである。視線は、既成の枠組みからは程遠い。「子どもたちの置かれた位置。その目線」から、家族のあり方を考え続けてきている。
 そして、この夏、大きな衝撃を与えた、二つの事件の前に佇んでいる。渋谷で監禁された四人の小学生少女たち。長崎で四歳の幼児を死に至らしめた十二歳の中学生。十二歳の性と死を見つめる。こう語りかけてくる。
 渋谷の小学生女子たち。子どもの性を商品として高い市場価値をつける大人たちがいる。その市場価値に簡単に誘惑されてしまう少女たち。誘惑に抗する「何か」が形成さ れていない。何か。
 長崎の中学生。この少年は自分のことが嫌いに違いない。好きであれば、ああいう振る舞いに出る発想はない。いつも、緊張を強いられてきたのだろう。そう思う。
 この二つの事件が照らし出すのは、「自分への信頼が根本的に欠如している」こと。なぜか。身近に「安心して安定的に、自分が自分としてある」ことを保障する大人が消えたからだ。そのため、家族はどうあればいいのか。どういう関係を持てばいいのか。その見取り図を、指針を、方向を説いていく。