あとがき

 この本に収録した八編の文章は、一九九九年から二〇〇二年にかけて、雑誌『is』(ポーラ文化研究所発行)に「古美術の20世紀・視線の変節」と題して連載したものである。多少の改稿はしたが、基本的には原文とほとんど変わっていない。ただ、単行本収録に際して、かなり図版を追加した。
 これまで、美術史の専門誌に書いたものを単行本に収録する、という経験は何度かあったが、その折には、図版を削るのが常であった。こんなわがままな編集を許してくれた、晶文社の足立恵美さんに、まずは感謝します。土壇場でアメリカへ出かけて、すみませんでした。でも、それをネタに、「まえがき」を書いたから、許してください。
 足立さんは、本書のデザインに関しても、私にかなり任せてくれた。これも異例のことだと思う。私はいい気になって、自分が信頼するデザイナー、佐藤直樹さんに頼んでしまった。佐藤さんとは、昨年末、大げさに言えば「運命的な出会い」があって、その仕事をよく見てもいないのに、立て続けにいくつかの仕事を頼んだのだった。
 いま、このあとがきを書いている時点で、そのうちのひとつ、平凡社『別冊太陽』の特集『水墨画発見』が、書店に並んでいる。従来の教科書的な入門書ではなく、私のテイストを前面に出すことを許してくれた編集。本書と合わせてご覧いただければ幸いである。
 思えば、こんな文章を書き連ねた後、私の周辺の日本美術をめぐる状況は、かなり劇的に変化した。「一九五六年の雪舟」の末尾で、「二〇〇二年に東京国立博物館で開催予定の大々的な雪舟展を見届けるまでは、まずは、とりあえず近過去における視線の変節を、もう少しまともに確認してみたいと思っている」と書いているが、その雪舟展もすでに終わった。なんと五十万人以上の観客が訪れ、私はその前後、旧来の雪舟のイメージを破砕するような文章を乱発したのだった(平凡社ライブラリー『雪舟はどう語られてきたか』、『芸術新潮』二〇〇二年三月号「ほんとうの雪舟へ」他)。
「源頼朝像」については、つい半年ほど前、歴史教科書をめぐる検定制度で、この画像に「伝」をつけずに「源頼朝像」として掲載することにクレームがついた、という情報を得た。米倉氏の新説が公的に認知される日は、この原稿を書いていた当時の私の想像より、意外と早いかもしれない。
 高松塚古墳に関しては、つい最近、驚くべきニュースを聞いた。なんと、石室内に入った湿気によって、大量の黒カビが発生した、というのである。なんともマヌケな話だが、大仰な保存策もすでに風化して、テクノロジー的には過去の遺物となってしまったことを物語るだろう。この文章で指摘した、考古学的発見を新聞ネタとして重宝しすぎる、という悪弊は当分おさまりそうもないが、この「カビ事件」が、高松塚古墳をめぐる騒動を見直すキッカケとなることを期待している。
 雪村については、この文章を書いた直後、二〇〇二年に、千葉市美術館を皮切りに四館を巡回した展覧会「雪村展──戦国時代のスーパー・エキセントリック」を監修して、思いのたけをその図録に述べておいた。売り切れてしまって入手困難だが、興味のある方は図書館等で、参照していただきたい。雪村には特別な思いがあるから、本書のカバーにも、あまり脈絡はないのに「呂洞賓図」を使った。
 伊藤若冲については、熱烈なラブ・コールが増すばかりである。昨今のそんな経緯は、あらためて『日本美術の発見者たち』(東京大学出版会、二〇〇三年)の中にも辻惟雄氏との対談という形で言及しておいたし、今秋、六本木ヒルズの森美術館の開館記念展「ハピネス──アートにみる幸福の鍵」の図録に寄せた文章にも、記しておいた。
 白隠および禅画については、この稿以降も、地味な調査を続けている。なにせ作品点数が多いから、これからも当分時間がかかるだろうが、信頼できる研究者と協力しながら、将来的に大々的な白隠展を開催できれば、と思っている。
 写楽については、その後追加すべき新しい成果を、私は知らない。本書でずいぶん槍玉にあげた格好の田中英道氏の著作についても、専門家の口から論評を聞く機会はまったくといっていいほどない。かえって、こんなに黙殺されていいんだろうか、と心配するほどである。
 等伯については、これからしばらく時間を費やして、NHKの二時間番組をつくることとなった。基本的に、「成り上がり者・等伯」という私がもっているイメージを尊重してくれる構成になるというから、この原稿を書き上げた翌日、京都ロケに向かう。智積院の襖の前で何を話すか、まだよく考えていないが、大倉正之助さんが鼓を打ってくれるはずだから、私はそれに付き合って、狂言回しのような役割を果たせばよい。
 ともかく、『is』の連載からほんの数年しか経っていないのだが、ここでとりあげたテーマは、その後、私の中で大きくふくらんで、今後の宿題として山積している。日本美術について語ることはまだまだある。とくに二十世紀の「視線の変節」については……。
 そんな後日談があって、いまあらためてこの単行本の編集をしているのだが、なにより感謝したいのは、この本が産まれるきっかけをつくってもらった、『is』の元編集長、山内直樹さんである。たしか、山内さんは、私が岡本太郎について書いた文章を読んで、この連載を依頼されたのだった。
 群衆の中で頭ひとつ飛び出した、一九〇センチの山内さんと、渋谷で待ち合わせした日のことを今でもよく覚えている。その日に居酒屋で話したことがきっかけとなって、結局、この本ができた。残念ながら『is』は廃刊になったけれど、この雑誌が示した「視線」は、今後も有効なものとして機能していくと思う。
 みなさん、ありがとうございました。