「3章 かくも完璧な世界」より

「世論」という圧倒的なチャンピオン



 「だいたいあの麻原の子供たちを普通の子と同じように考えることが無理なんです。無気味だと思うのは当然でしょう? あなたがたは他所に暮しているから、実際に傍にいる私たちのこの切実さが分からないんですよ!」
 発言したのは民主党の県会議員。二〇〇〇年八月。麻原被告の三人の子供たちが転入してきて就学問題で揺れる茨城県竜ヶ崎で、人権団体がシンポジウムを開催した。報せを聞いてカメラを持って駆けつけたが、当日の参加者は五〇名足らず。しかも肝心の地元住民はほとんど参加していない。「この集会に参加するだけでオウム擁護派のレッテルを貼られてしまうんです」と一人の住民が僕に苦笑した。
 冒頭の発言があったのは会の中盤。人権派の市民や大学教授たちの、「これは明白な人権侵害であり、子供たちの居住はもちろん就学だって認めるべきだ」との主張に対して、挙手した県会議員は頬を紅潮させながら、一気にまくしたてた。状況に無闇に関与すべきではない。なぜなら今日の僕は撮影のためにここにいる。そう思いながらもその瞬間、(安っぽい表現だけど)僕は切れた。
 県会議員が座る席の少し前には三人の子供たちが所在なげに坐っている。麻原の子供たちだ。最初の頃はじっと坐っていた二人の弟たちは、とうとう会の中盤で、持参していた布の袋からドラエモンの単行本を取り出すと夢中になって読み始めた。何度も読み返されているのか、本は皆擦りきれたように垢じみていた。一一歳になる四女は、幼い二人の弟たちに漫画を読むことを制止すべきだろうかと躊躇うような素振りを一瞬見せてから、思い直したように背筋を真直ぐに伸ばし、人権や公共の福祉などの言葉が頻発する皆の話を、じっと無言のまま聞いていた。
 県会議員が声を荒げたとき、彼女は表情を変えないまま、少しだけ肩で息をついた。ドラエモンに夢中の弟たちは、自分たちが不気味な存在だと名指しされたことに、どうやら気づいていないようだ。
 僕はカメラのスイッチを切って足許に置いた。会が始まる前から着席していた子供たちの存在に、県会議員が気づいていないはずはない。一言だけだ。記録者としての領分から逸脱した行為であることは百も承知だけど、でも一言だけ彼に伝えたい。
 「あなたが今無気味だと言い放った子供たちはここにいますよ。皆さんからいちばんよく見える席で、人権などの難しい話を一生懸命聞いています。不気味だと断言するのならまずその前に、この子供たちに話しかけましょうよ。この子たちがなぜ今日ここに来たかを考えましょうよ。あなたはさっきからこの子供たちに、視線を合わせることすらしていないじゃないですか」
 県会議員は不満げに黙り込んだ。余所者が余計なことを言いやがってと僕を睨む目が憎悪に燃えていた。足許のカメラを拾うために屈みこんだ僕の視線が、三人の子供たちの視線と交錯した。以前の居住地からは追い出され、新しい学区の小学校からは登校を拒否され、地域の住民たちが作った「悪魔のオウムに人権はない」「殺人者の子供は学校に来るな!」などと書かれたプラカードで住居を包囲され、同じ年頃の友達も作れず昼間は外出すらままならない彼らは、大人たちの諍いの原因が自分たちであることが不安なのか、じっと無言のまま、僕を見つめていた。
 東京、大阪、名古屋、札幌、新潟などの単館劇場での『A』の興行が終わって二年が経つが、日本各地の映画愛好家たちが集まった市民グループなどから、「上映会を開催したいのだがフィルムを貸してもらえないか?」との問い合わせは今も時おりある。でも途中で立ち消えになってしまうケースが多い。よくあるパターンは、会場が見つからないという理由だ。市民グループが上映会を開催する場合は、市民ホールなどの公共施設を借りるケースがほとんどだ。愛媛のある団体からは、「反社会的な映画の上映には協力できないと会場使用を拒否されました。でも悔しいことにその職員は『A』を観ていないんです」と書かれたお詫びの手紙を貰った。つい先日は、オウムの信者の施設問題で揺れる世田谷の住民から、やはり区を説得できなかったと試写用のテープが送り返されてきた。
 『A』の話になると、どうしても愚痴っぽくなる。でも我慢してもう少しお付き合い願いたい。作品を巡るこの環境に、他ならない作品のテーマが鮮明に現れている。『A』の作品中で描かれた日本社会が示す異物への排除の図式が、作品の発表の場となる社会の対応と相似系を描くことは、考えるまでもなく必然なのだろう。仮に日本社会がこの作品を全面的に肯定するのなら、その瞬間にこの作品の意味は消失する。その意味では極めて当然の市場原理だ。市民社会というマーケットに於いて、市民社会から敵と見なされる作品は評価されない。評価以前に黙殺される。
 プロフィールに「タブーに挑む云々」との形容詞を冠せられることが僕には多い。だけど被差別部落の問題に触れた『放送禁止歌』が、『A』とは比べものにならないくらいにマスメディアでもとりあげられたことでも明らかだけど、部落や右翼、そして天皇制批判などの「誰もが思いつくタブー」は、既に本質的な意味でのタブーとしては失効している。つまりタブーと認知された瞬間に、そのジャンルは「アンタッチャブル」ではなく、「取り扱い注意」へとなる。扱い方さえ心得れば、決して触れられない領域ではなくなるのだ。
 現在の日本での本来のタブーは、市民社会のマジョリティを構成する良識や世論に棹差したり異議を唱えることだ。これに対する仕打ちは厳しい。黙殺というこれ以上ないほどに痛烈な報復が待っている。国家や企業への批判は受容できても、今の日本人全てを対象化する僕の企ては、もしかしたらこの市民社会からは永遠に受け入れられないのかもしれない。
 『A』をマスメディア批判の作品と規定する人がいる。警察という国家権力批判という文脈を読みとる人もいる。どちらも間違いではない。作品の評価は観られた瞬間に観た人の数だけ委譲される。その意味ではあらゆる評価は全て正しい。でも僕自身には、特定の個人や組織への批判精神は実は薄い。なぜなら今の日本社会において、メディアも国家権力も本質的な強者ではないと確信しているからだ。強者ではないから自発性はない。つまり『A』で描かれたメディアの軽薄も警察の横暴も、いわば他律的な属性なのだ。
 今の日本における本当の強者は、市民社会が紡ぐ「世論」だ。圧倒的なチャンピオンだ。欧米流に言えばTAX PAYER、マジョリティという名の民意と言い換えてもいい。弱者である市民(正義)が、強者である国家や大企業という名の悪に対峙するという構図は、古き良き時代に紡がれた旧態依然の左翼的思想の残滓でしかない。『A』において描写されたメディアや警察の思考の停止は、彼らが徹底的に民意に寄り添ってきた帰結の姿なのだ。戦後半世紀余りを経過して、日本に移植された民主主義は一つの究極の形で成熟し定着した。もう一度言う。全てを決定しているのは僕らなのだ。
 「冗談じゃない。俺はテレビのゴールデンタイムの下らなさを支持などしていない」と反論する人はきっといる。でもゴールデンタイムの下らなさは、結局のところ視聴率というリアルな支持率に支えられている。マスメディアの下劣さは、視聴率や部数を媒介とする市民社会の鏡像なのだ。自民党政治への絶望を装いながら僕らの大多数は結局自民党を支持する。メディアも政治も司法も何もかも全て、この国の枠組みを選択しているのは僕たちなのだ。
 オウムの施設内に視点を置いて社会を見れば、今の僕たちの歪みや欠落がよくわかる。彼ら信者たちははこの六年間、この視座の中で生活してきた。この六年間(つまりポストオウムだ)、急激に一方向に均質に、劣悪に残虐になってきた日本社会を俯瞰しながら、絶望や嫌悪に確信を抱き、その反作用として盲目的な修行に勤しんできた。
 それほどにこの六年間、日本社会は急激に変質した。猟奇事件や動機が不明瞭な凶悪事件が頻発し、国旗国家法や通信傍受法やガイドラインや住民基本台帳法がまともな論議もないままに成立し、東京都知事が銀座を装甲車で走り、アジア太平洋戦争は過ちではなかったと主張するグループが遂には教科書まで作り、左右両陣営のバランスは崩れ、リベラルはこれ以上ないほどに弱体化し、憲法改正も目前だ。
 ……今に始まったことではない。ファナティクな輩はいつの時代にもいた。この六年間で増加したわけではない。彼らを僕らが支持しだしたのだ。変質したのは僕ら自身なのだ。

 「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」

 今年僕は『A』の続編とも言える『A2』を発表する。上の一行は、結局は外したけど、一時はタイトル候補でもあった『A2』のメインコピーだ。『A』と同様、市民社会からこの作品が異物として黙殺されるのかどうか、現段階では分からない。でも、持って生まれた楽観性の故か、実はこっそりと、前回とは違う反応を期待していることを告白する。だってオウムの教義によれば、カルマを落とした後はステージが上がるはずなのだから。
(2001/8)