はじめに――「こころ総動員法」前夜

「心」と「国」と「戦争」と

いま、この時代をどう見るか。
 そう問われたときに私がまず思い浮かべるのは、「心」と「戦争」という二つの言葉です。
「心」と「戦争」?
たぶん多くのひとは、この二つの言葉をどう結びつけたらよいのかとまどわれることでしょう。ひとりひとりの「私」の「内面」の領域である「心」と、国際社会全体を揺り動かす「戦争」――たとえばいま、イラク攻撃をめぐって国際社会全体が大騒ぎになっています――のあいだには大きなギャップがあり、両者をつなぐ媒介項が欠けていると感じられるのではないでしょうか。
両者をつなぐのは、私の見立てでは「国家」です。「国」といってもよい。
戦争と国家の関係について異論をもつひとはいないでしょう。内戦やパルチザン戦争の場合もそうですが、今日では戦争の形態もますます複雑化し、「国際テロ組織」との戦争が標榜されるなど、戦争は必ずしも国家と国家がするものとは限りません。とはいえ、その現代においても、常備軍を備えた国家こそが戦争遂行の最も代表的で重要な主体でありつづけていることは明白です。
日本の国会ではいま「有事法制」が審議されています。この場合の「有事」とは「戦時」以外のなにものでもなく、「有事法制」とは「戦時法制」にほかならないのすが、この場合も戦争するのはもちろん日本の「国」軍である自衛隊――日米安保条約によって在日米軍と一体化していますが――なのです。