谷川健一×前田速夫
対談「ふたたび、独学のすすめ」より

学問と文章

前田 私は長いこと文芸の編集者をしてきましたが、それがマイナスだとは思いません。学者の論文を読んで、教わることもあるのだけれど、ふと思うのは、この人は文芸の人かどうかということです。刺激を受けたり惹かれたりというのは、やはり文章ですね。柳田國男も折口信夫ももともとは文芸から出発している。イメージに喚起力があるかどうか、感性がすぐれているかどうか。文章に鈍感な人は、どんなに調べても、データとしては残るかもしれないけれど、魅力あるものにはならない。
谷川 その点、民俗学は文芸にいちばん近い学問ですね。歴史学は方法論の問題などがあるから、また別です。
前田 歴史学だって、文章に魅力がなければ歴史家とはいえない。
谷川 本当の歴史家には文章に張りや勢いがあります。
前田 文献に接していてると、史料でしかないものと、その人独自の作品になっているものとに、はっきり分かれます。
 谷川 私は以前、晶文社から『独学のすすめ』という本を出しましたけど、民俗学というのはやはり独学の学問です。吉田東伍がそうです。中学校を出ただけだが、今もってすごい。本人の素質と根気、洞察力。十二年間で『大日本地名辞典』をひとりで書き上げたのだから。小さい村々の歴史を全部書くために、現地に行かないで判断しなければならない場合もあって、間違っているものがないわけではないが、ほとんど当たっている。正月も盆もなく、一日四〇〇字詰原稿用紙で七枚ずつ、朝から晩まで、三六五日書く。全部、考証です。小説家のように咳払いしたといっては行を変え、あくびをしたといって行を変えるものではない。
前田 宮本常一さんも白川静さんも独学ですね。鳥居龍蔵もそうです。
谷川 鳥居龍蔵はすごい。小学校を四年でやめて、あとはドイツ語まで自分でマスターする。奥さんと生まれたばかりの子供をラクダの背中に乗せて月の砂漠を行く。あれに比べれば後学なんて見るに堪えない。
前田 文芸の世界もそうです。小説家もどんどん専門化している。テーマが細分化し、狭いところに入っていって、根源的、普遍的なものがなかなか出てこない。それは人間の生き方にもいえると思う。
谷川 中上健次も深沢七郎も独学でしょう。大学のフランス文学科を優等で出たというのは、頭でつくってしまう。体験から出ていないから、人の心を打つものにならない。もちろん、すごく勉強していてかつ天才という三島由紀夫みたいなのもいますけど。