「1章 アトム誕生」より


2003年4月7日

 2003年4月7日、鉄腕アトムは、科学省の精密機械局で生まれた。
 マンガが発表されたときは、遠い未来の話だった。しかし、いまや「現在」である。アトムは、ぼくたちが暮らしているこの社会で、立ち上がり、歩きだそうとしている。
 とうとう、本当に、アトムの時代がやってきた。
 アトム誕生の経緯は、こうである。科学省長官の天馬博士が、息子のトビオを亡くした。交通事故だった。博士は、息子の死を嘆き、失われたものをなんとか取り戻したいと考えた。そこでトビオに代わるロボットとして、アトムが作られた。
 アトムの誕生は、短い期間であっても、博士の慰めになった。
 「思い出しても、なつかしい、日だった」
 天馬博士が、そう回想したのは、1966年に雑誌「少年」に発表されたマンガ『鉄腕アトム』の中で、である。
 ぼくが生まれたのは1960年。『鉄腕アトム』とともに幼い日々を過ごしたぼくたちにとって、アトムの存在は懐かしい。
 いうまでもないが、あの頃、ぼくたちは子どもだった。だから天馬博士と鉄腕アトムの関係でいえば、あるいは天馬博士の後を引き継いでアトムの面倒をみることになったお茶の水博士とアトムの関係でいえば、アトムこそが、ぼくたちの「友だち」だった。
 天馬博士やお茶の水博士は「大人」であり、それは子どもであるぼくたちにとって、親や先生と同じような存在だ。いっぽうアトムは、ぼくたちと同じ「子ども」である。あの頃、ぼくたちは、自分をアトムに重ねていた。人間でないロボットだけど、アトムはぼくたち自身だった。少なくとも、その一部だった。
 そう、ぼくたちは、自分の中にロボットをかいまみる子どもたちだったのだ。ぼくたちは、ロボットとして育った。耳を澄ませば、アトムのように、人間の大人の何倍もの感度で音が聞こえるかと思い、ちょっとしたきっかけさえあれば、空だって飛べるんじゃないかとも思った。
 もちろん、それは子どもの夢に過ぎない。非現実的な考えに過ぎない。しかしあれから何十年か過ぎて、夢は現実となりつつある。たしかに、アトム誕生の年「2003年」は、子どもだったぼくたちが大人になり、アトムを作ることも不可能ではないような科学の時代となったのだ。
 あの頃の子どもの夢は、今の大人の現実となりつつある。1950年代、60年代の少年は、2003年を先取りして生きていたのだ。
 この本を書いているのは、そんな「2003年のアトム誕生」の前夜とでもいえる時期である。ぼくたちは、これから「アトムの時代」を生きることになる。
 かつて子どもとして、アトムの時代を生きたぼくたちであるが、いま大人になったぼくたちは、もう一度、リアルな現実社会の中で、アトムの時代を生きる。
 ぼくたちの少年・少女時代は、そのための予行演習だったのか。それとも、あの頃が本物で、ぼくたちはこれからその亡霊を追体験しようというのか。
 手塚治虫が描いた未来が、いま始まろうとしている。あるいは、現実は、まったく別の方向に進んでいるのか。科学の子・鉄腕アトムとは何者だったのか。
 かつて子供だったぼくたちは、アトムの活躍に一喜一憂していれば、それでよかった。しかし、もうぼくたちは大人になった。
 大人になったぼくたちは、再び、『鉄腕アトム』を読みなおさなければいけない。子供の頃には読み落していた、手塚治虫のメッセージがあるはずだ。いまは作者・手塚治虫も、この世を去った。
 残されたのは、作品『鉄腕アトム』と、大人になったぼくたちだけである。
 ほんとうの「2003年4月7日」が、いま始まろうとしている。