あとがき

 甲野師範は今、ときの人である。
 師範の術理を応用した桑田真澄投手が防御率一位という華々しい実績をあげたことで、師範に対する関心も一気に高まり、取材や原稿、講演の依頼が殺到。スポーツ界のみならず、一般企業からも、その身体運用法に、組織運用の新たなあり方についてのヒントを求めてくるようになっているという。工学的な応用を考えているところまであるらしい。
 これほど注目を集めているのは、師範の技のめざましさによるばかりでなく、誰もが今日の社会に危機感や閉塞感を覚え、状況を変える新たなものを求めているからだろう。武術そのものに関心があるというより、「発想の転換」のヒントを求めているのである。
 身体をめぐる通念が揺らぐことで、あらゆるシステムの常識がくつがえされる。
 そこから何が飛びだしてくるか。きっと予想外なことも起こるにちがいない。
 あまりの忙しさに甲野師範は閉口ぎみのようだが、そんな様子に僕は、新しいことが始まろうとしているときのわくわくする気分を覚えている。
 むろん、どんなに面白いものも、世に広まるときにはかならず、つまらないものに変質する。そのことは百も承知でなお、僕は甲野師範の武術の考え方が世に広まることを願っている。
 マスコミはいつものように、もてはやしながら消費しつくそうとするだろうが、技の世界には、たやすく消費できるはずもない強烈な毒がふくまれている。術と呼べるほどの動きを可能とする身体感覚を追求することは、人肌の生温さで癒しあうような牧歌的なものではなく、きわめて剣呑で、ゆえに創造的な営みである。約束事の好きなマスコミには消費できるわけがない。甲野師範の術理は、この先さらに変化してゆくだろう。「とまらないこと」も術である。僕らは、めくらまされて、実体をつかみそこねつづけるのだ。楽しいなあ。
 甲野善紀師範に、このような本を書くことを約束してから約八年、今年こそは書きますからと何度言ったか、もう覚えていない。狼少年もいいところで、困ったものだが、もし五年前に書き上げていたら、書きたいと思うポイントは同じでも、今と同じ言葉では書けなかっただろうと思うから、やはりこれまでの時間は必要だったという気がする。
 甲野師範に出会えたことは、僕にとっては大きな転機となる出来事だった。転じきれずにもがいていたといったほうが正確だろうが、いま本書を書き終えて、その受けたものの大きさを改めて深く感じさせられた。
 ぐずぐずと煮え切らない狼少年(おっと中年だいっ)を見かぎらずに取材の便宜をさまざまとりはからっていただいたことなどをふくめ、あらためて感謝を申しあげます。
 甲野師範を通じて、多くの魅力的な方々に知り合うことができました。
 中島章夫さんから教わったことは多々あります。また中島さんが稽古法研究上の発見やそれに対する感想などを皆から募集して、自分の書いたものとあわせて編集している小冊子『松聲「風伝」』も、参考にさせていただきました。
 松聲館、恵比寿稽古会の皆さん、お名前をあげるときりがありませんが、とくに安室英治さん、岡田隆夫さん、渡辺謙二さんには多くのことを教わりました。
 神奈川リハビリテーション病院の北村啓さんにお話をうかがえたことで、本書はより身近で実感にうったえるふくらみをもつことができたと思います。
 北村さんから、その試みには、身体教育研究所の野口裕之所長からの影響も大きいことを書き添えて欲しいと要望がありました。
「身体観の革命」を唱える野口裕之所長からは、僕自身も強烈な啓発をうけ、その影響は、陰にも陽にも本書の全体におよんでいます。影響が大きすぎて、部分を取り出して断ることができませんでした。
 使えるほどの技ができるわけでもない僕にこんな本が書けたのは、多くの方々から教わった体験をもとにしているからです。
 あらためて皆様に感謝を申しあげます。