あとがき──期間限定の思想

 私は「期間限定物書き」である。
 そう宣言して、物書きとしての営業期間を二〇〇二年末までと決めた。
 本年大晦日を以て「物書き廃業」である。新規の受注は受け付けず、メディアにはもう出稿しない。
 誤解してもらっては困るが、廃業するのは「物書き業」であって、学者をやめるわけではない。今後も引き続き学術論文は書くし、翻訳も出す(研究者なんだから当たり前だけど)。でも、時評エッセイ講演コメントの類は打ち止めである。
 理由の一つは、やってみて私が「物書き」向きの人間ではないことがしみじみ分かったからである。
 去年の春に物書き業を開業して、どんな種類のお仕事の依頼でもお受けするようになって一年半になる。TVラジオにも出たし、新聞と情報誌に連載コラムも書いたし、講演もしたし、インタビューも受けたし、広告代理店がらみの仕事もした。駆け出し「評論家」として一通りの仕事を経験した上で、「メディアの周辺をちょろちょろしているより、おとなしく大学の先生をしている方が性に合っている」という結論を得たのである。
 誤解されている人が多いが、私はまったく社交的な人間でも活動的な人間でもない。
 毎日、自宅のある六甲山麓と大学のある岡田山の間を車で移動するだけで、ほとんど街に出ず、誰とも会わない、寡黙なる「山場の人」である。ときどき武道と能楽のお稽古に通い、古い小説と古い音楽と古い映画に囲まれていれば、それだけで「しあわせ」という根っからの懐旧派である。そういう人間をつかまえて、当今の世相や流行や日本の行く末についてのレイザーシャープな意見を述べよと迫るのは、木に縁りて魚を求むるふるまいというものである。
 とはいえ、なにごとも頼まれると「ノーといえない日本人」なので、この一年半求めに応じてさまざまな時評をものした。だが、「生まれ変わったら入りたい会社について」とか、「過労死について」とか、「少女マンガについて」とか、およそ私に専門的知見の語れるはずもない話柄についてコメントを求められるようになって、ついに困じ果ててしまった。
 そんなこと私に訊かれても困る。
 声を大にして申し上げるが、私はごくふつうの大学の外国語(兼体育)教師である。専門領域以外の社会の出来事については、実際に見聞した事実以上のことを知らない。思うことはあるが、裏付けとなるデータを一般人以上に持っているわけではない。だから、しばしば私の議論は鬼面人を驚かすの類の暴論奇論となりやすい。世俗のことについて、私は「思いて学ばざれば即ち殆し」の徒である。
 私が分相応にウェブ日記ライターにとどまっている限り、そこにいくら変痴奇論を書き散らしても、さしたる実害はない。私のサイトを覗きに来るひとは「笑いネタ」を求めて「ウチダの変痴奇論」を読みに来るわけであって、別に私から「日本社会の現状についての客観的分析」や「日本の二一世紀的生存戦略」についての知見を聞き出そうとしているわけではない。
 しかし、発行部数八〇〇万部の「朝日新聞に連載時評を書く」ということになると話が違ってくる。私の発言にある種の「権威づけ」がなされてしまうからだ。私の暴論をして「これが世間の常識」と思って頭から信じてしまう人もいるし、逆に「大学の教師のくせに何という常識知らずだ」と頭から湯気を立てて怒る人もいる。
 どちらも困る。
 私の書く時評は、「そういうのが好き」という人のためのものである。私のホームページのURLを「お気に入り」に「ブックマーク」している人のためのものである。いわば私自身が自転車に乗って宅配に回れる範囲のクライアントに向けて書かれたものであり、その範囲にとどまる限りにおいてのみ、私のテクストは「娯楽」として消費され得るのである。その「損益分岐点」を超えてしまうと、もたらす益よりも害の方が多くなるのではないかと私は危惧するのである。
 私はホームページ上で自分の本名も所在もメールアドレスも明らかにしており、私に言いたいことがある人は、どんどん直接ご意見を言って下さい、会いに来たければどうぞ研究室のドアをノックして下さいというスタイルを取っている。だが、もうそれでは寄せられるメッセージをさばき切れなくなってきた。好意的なものであれ、攻撃的なものであれ、「あれ、これは話が通じてない……」ということが分かるようなものがしだいにふえてきたからである。ことばが通じてない人の相手をするのは純粋な消耗である。
 もちろん、ここで「セレブ」志向の方は「自宅は非公開」とか「顔写真はダメ」というかたちでプライヴァシーと言論活動のあいだの境界線を引かれて、さらにばりばりとメディアに進出されるのであろうが、そういう情報の閉鎖を代償にしたメディア露出はなんだか私にはなじまない。ある程度私的なものを閉ざさないと広い場所には出ていけないということなら、私は狭いところで緩んでいる方がいい。
 というわけで、いささか性急に手を拡げた売場をぱたぱたと畳んで、もとの「屋台一台」に戻ることにしたのである。なんだか、インディーズ系のバンドが「メジャー・デビューしても、おれらの原点はライブですから」などと言うのと似ていて気恥ずかしいが、まあ、そういうことです。
 これが「期間限定」を名乗る所以の第一である。
 「期間限定」である理由の第二は、時評エッセイはその性質からして賞味期限の短いものにならざるを得ないからである。私が素材に選んだ社会現象はその時々のものであって、いま初校のゲラを読んでも、「古い話だなあ」と思うものが散見される。今ならまだそれでも「ああ、そういう事件、あったね」ということが想起されるが、あと数年もしたら「援交」とか「鈴木宗男」や「フリーター」なんて「何、それ?」ということになっているであろう。
 本書が「美味しくいただける」賞味期限はせいぜい最大限三年というところであろう。でも、別にこれは本書のクオリティについて卑下しているわけではない(私の辞書に「謙遜」という文字はない)。
 私は何ごとによらず、「期間限定」とか「地域限定」というものが好きなのである(信州地域限定商品「りんごポッキー」とか)。「どこでも買えるもの」、「いつでも買えるもの」より、ある時期、ある場所でしか手に入らないものの方が私は好きである。
 自分の書いた本についても同じことを感じる。
 本書は、ある時期、ある場所で、ある年齢、ある社会的立場の人が、ある種の状況下で(「小海老天せいろが来るのを待ちながら」とか「バーのカウンターでバーボンソーダを呑みながら」とか)読むのが「つきづきしい」ものであって、そういう条件を外してしまうと、それほど面白くない。厚揚げと同じで、あつあつのうちに刻み葱と生姜をからめてお醤油をざっとかけて食べると百円の厚揚げでも極上の美味となり冷えたビールと親友同士であるが、冷えたのをぽそぽそ食べても何の味もしないのと一般である。
 以上二つの理由によって、私は本書を「期間限定の思想」と題したのである。

 というところで、収録されたテクストについての解題。
 第一章「街場の現代思想」は関西地方の情報誌『Meets Regional』(京阪神エルマガジン社刊)に二〇〇二年二月号から毎月連載したものである。
 『ミーツ』の編集長江弘毅さんは私がこれまで出会った編集者の中でいちばん「熱い」男であり、レヴィナスの愛読者である江さんからの「フランス現代思想の美味しいところを、街場の若者たちにも分かるように、噛み砕いて説教してやって下さい」という情報誌らしからぬ企図の壮なるに感動してお受けしたのである。江さんともども電撃的に登場された北野のワインバー「ジャック・メイヨール」の「哲学するソムリエ」橘真さん率いる「街のレヴィナス派」のみなさんとの出会いを含めて、『ミーツ』仕事は、関西に来てから一番愉快な経験の一つであった。毎号私の原稿につけてくれるアジサカ・コウジ画伯の四コママンガも楽しみだった。今回、特に江さんにお願いして、『ミーツ』からアジサカさんのマンガを転載させて頂いた。マンガがついてないものは、連載時に自主ボツにして、パソコンのハードディスクに放り込んでおいたものの仕立て直しである。
 第二章「説教値千金」は時評的小ネタ集。もとはすべてウェブ日記掲載のもの。今回単行本化に際して、若干の加筆訂正を加えた。
 第三章「私事で恐縮ですが」のうち「私の専門」は文藝春秋の出版月報に書いた『寝ながら学べる構造主義』の解説。「ほっこり日々断章」は二〇〇一年の四月から五月にかけて共同通信に連載したエッセイ。掲載時は「思いつくまま」というタイトルが付いていた。最後のロングインタビューは晶文社のウェブサイトに掲載されたもの。『「おじさん」的思考』の販促活動として、インサイドストーリーを語ったものである。インタビュアーの突っ込みがなかなかきびしくて、ついつい本音を語ってしまった。

 今回も晶文社の安藤聡さんがばりばりと編集作業を進めてくれて、四月に『「おじさん」的思考』を出して、その半年後に「パート2」を出すという実に手際のよいお仕事ぶりであった(今回の欧文タイトルはojisan-esque thinking Episode 2 である。「オジサネスク・シンキング」というのは、『ヘラルド・朝日』の書評に取り上げられたときの英訳タイトル。「なるほど、オジサネスクというのか……」とすっかり感心したので、ありがたく使わせて頂くことにした。Part 2 ではなくEpisode 2 としたのは、せっかく二〇〇二年刊行なんだから、「期間限定商品」の徴をどこかにつけておこうという配慮によるものである)。

 本書の刊行のためにご配慮いただいたすべてのみなさんと、貴重なネタを提供してくれた学生院生諸君に感謝します(「街場の現代思想」で毎号「先生!」と駆け込んでくるのは、すべて実在の神戸女学院生である)。みなさん、どうもありがとう。みなさんのおかげで、また本が出来ました。

二〇〇二年九月
内田 樹