戦後、東京は大きく変わった。焦土にバラックが建ち、やがて町に売込みの声が響く。そんなどこにでもあった風景を細部まで記憶に留めた人は、どれだけいるだろうか。
「変わっていく街を記録したい。当たり前のものは誰も残そうとしないから」と、町歩きを始めた夫婦がいる。村木与四郎・村木忍。映画ファンなら、その名に聞き覚えがあるだろう。
与四郎氏は『酔いどれ天使』に参加以来、ほぼ全ての黒澤明作品に携わった名美術監督だ。『生きものの記録』の火事跡、『どん底』のボロ長屋など、その仕事は伝説として語り継がれている。忍氏は市川崑監督『青色革命』や若大将シリーズなど東宝の娯楽作品を手がけ、1997年に亡くなるまで数々の現場で活躍した女性美術監督の先駆け。
新宿、新橋、駒込、神楽坂。彼らが戦後から1950年代後半にかけてスケッチしたのは、今は失われた光景だ。焼け跡、バラック、長屋、露天商、酒場、芸者置屋、居酒屋…。映画に生かされたものもあれば、そうでないものもある。寸法を微細に記した店の厨房から、ユーモア溢れる看板、ふと目に留めた路地まで。どれも時代の空気を写していて、懐しさが込み上げる。
本書はカラースケッチ約60点、与四郎氏のインタビューで構成。映画、若かりし頃、戦争、そして黒澤監督について余すことなく語る。黒澤映画の未発表デザイン画も満載。映画ファン、昭和風俗ファン必読の一冊だ。