国籍不明の魅力

 海外の作家から、日本女性はとてもチャーミングなのに、なぜ日本女性のマネキンを作らないのかなどと言われる。作らなかったわけではなく、過去にも日本女性モデルのマネキンを作ったことはあったが、日本市場で日本人顔のマネキンはあまり好まれない。あまりストレートに日本女性をマネキンで表現してしまうとやはり抵抗があるのだろう。何といっても西洋に対する憧れは強い。だからと言って、あまりにも西洋人的な顔のマネキンも好まれない。西洋人的でもあり東洋人的でもある、国籍不明の魅力的な顔がマネキンの顔では好まれるようだ。
 体のプロポーションを含めて、現実には存在しないけれど、どこかにいそうなスタイルのマネキンに、憧れと親しみを感じるのだろう。
 日本のマネキンは、使い勝手の良さを考慮して細かい部分まで親切に作られており、製品のよさでは海外での評価が高い。それに比べてヨーロッパやアメリカのマネキンは、仕上げは結構荒くて、金具類もあまり使い勝手がよいとはいえない。そのうえ、重くて女性の店員さんにあまり優しいとはいえない。こうした違いは技術の差というよりはマネキンの歴史の違いとマネキンに対する考え方の違いによるところが大きいと思う。西欧のマネキンは、もとは石膏やロウで作られていたので、マネキンは重くて壊われやすいものだと昔から思われていた。
 それに表面の仕上げが荒くても服を着せれば隠れてしまうし、ウインドウ等、広い空間に置かれた場合は気にならないという、きわめて合理的な考え方で作られている。人形というよりは彫刻造形、という考えが基本になっているように思う。
 海外から導入されたマネキンを日本市場で実際に使ってみて、学ぶ点もけっして少なくない。ウインドウや広いステージで使った場合、とても印象的でディスプレイ効果がある。また服を着せた時に、服が映えるという意味では洋装の歴史の違いを感じさせられる。
 そのマネキンが日本人に好まれるかどうかは、国民性や好みの問題だが、マネキンを使ってディスプレイをするデザイナーによると、後ろ向きにマネキンを使って効果のあるマネキンは日本のマネキンには少ないという。これはマネキンだけでなく、人体造形に対して、仏像の歴史を持つ日本と西洋彫刻との違いだと指摘される。
 また、日本のマネキンはヨーロッパのマネキンに比べて手先の造型が弱くて表情に乏しいと言われる。日本人は日常の会話などで手先を使って感情を表現することが少ないので、手先で表現するのが得意でないということがマネキンの造型にも表れているのだろうか。
 日本人の体型が国際的な水準に近づいてきた今日では、マネキンのサイズも少しずつ国際化が進み、サイズの壁は以前ほどではなくなっている。一方でファッションの傾向はカジュアル化が進み、個人の好みによる自由な着こなしが、サイズに対する意識を多少ルーズにさせているといえるかも知れない。