趣味だったのに ――あとがきにかえて

 この本は、97年9月27日に開設した私のホームページ「KON'S TONE」に掲載した文章をまとめたものである。タイトルは「今 敏の口調(TONE)」に「石(STONE)」をかけたもの。化石が好きという理由もあるが、時間が堆積するほど「KON'S TONE」も長続きして欲しいというささやかな願いも込められている。
 普段の私は多弁である。平たく言えばおしゃべりなのだが、口数の割に文章表現に対して苦手意識が強く、学生時代から作文には強い抵抗感を覚えていた。それが今やどうであろう。
 開設以来たかが数年しか経過していないというのに、よくも書いたものである。本書制作にあたって編集者がまとめてくれたテキストデータの総量は1MBに達していた。趣味で書いたにしては呆れてもよい量である。
 ホームページ運営はあくまで趣味の筈であった。遙か昔、漫画やイラストを描くことを趣味にしていた私は、それらを職業にしたときから長く趣味の欄を空白にしてきた。
 初監督作『パーフェクトブルー』は私に様々な物をもたらしてくれた。確固たる地位と華やかな名声、そして巨大な富。ウソです。インターネットはその一つである。この作品のおかげでインターネットに出会い、この電子の海にホームページを浮かべることになった。長らく空白にされてきた趣味の欄に「ホームページ」という文字が輝く……筈であった。
 ホームページを作ろうと思い立ったのは、元々『パーフェクトブルー』の制作記録をとどめておくためであった。本書に収録された「パーフェクトブルー戦記」である。
「戦記」は、記録されることも反省されることもないアニメ制作過程を振り返り、その巨大な失敗とささやかな成功を次回作への糧としようという意図、そしてさらにひどく個人的な私の文章修行という狙いに支えられて書き進められた。
 それがよもや多くの読者を得て暖かい反応が返ってくることになるとは。『パーフェクトブルー』が開いたインターネットへの扉は、多くの友人へと繋がることになった。「戦記」が無事に最後まで辿り着けたのは読者の支えがあったからである。
 素人さんを驚嘆させると同時に業界人の眉をひそめさせもした「戦記」は、当初の目的通り、その反省を『千年女優』制作へ大きな糧として運び、私の文章修行の成果は『千年』原案やシナリオ、後に続く『東京ゴッドファーザーズ』へと大きく……いや小さいながらも結実した。
 その昔、文章を書くことを大の苦手とした私はいずこへかと消えた。いまだに得意ではないが、ホームページのおかげで文章を書くことに抵抗がなくなり、それどころか文章修行は勝手に暴走し、エッセイまがいの「NOTEBOOK」まで書き始める始末。同時にホームページの熱は更に上昇し、決して仕事以外では描かなかった筈の趣味のお絵かきまで始めることに。我ながら驚きを通り越して呆れたものである。
 仕事そっちのけ、とさえいえる時期もあったが、このホームページを通してイラストの仕事や『海帰線』再版の機会を得た。そして何より、そのホームページ自体がこうして立派な書籍になるなど言語道断(笑)、いやあまりに意外な展開である。大胆にも「KON'S TONE」を書籍にすることを企画してくれた編集者の高橋氏を始め、出版の機会を与えてくださった晶文社の方々、「KON'S TONE」に参加し、支えてくれた多くの方々に厚くお礼申し上げます。
 かつて「絵を描いて飯を食う」と遙か厳寒の地、釧路の空の下で熱く力んだ田舎者の夢は、漫画家、アニメーション監督として成就し、それらを越えて文字による著作を出すに至った。
 皮肉なことに趣味だった筈のホームページ運営もまたこうして仕事の欄に半分組み入れられようとしている。
 現在「KON'S TONE」は滞っている。ホームページ更新の熱は仕事の時間を奪うが、仕事への熱はホームページの更新を滞らせる。いつかバランスの取れる日を夢見ながら、皆さんにはなるべく娑婆の仕事を通して出会いたいと思っている今日この頃である。
 では、また。

 2002年8月15日
 今 敏