まえがき

 のっけから恐縮だが、まず、次の三組の対比した文章を読み比べていただきたい。

 「人は其の長所のみをとらば可なり。短所を知るは要せず」荻生徂徠(一七一七年)
 「有能な人々は、強味の上に仕事を築き上げる。弱点と短所探しは最悪のやり方である」P・F・ドラッカー(一九六六年)

「おのおの好むすぢによりてまなぶに、学びやうも、さまざまあり」本居宣長(一七九八年)
「知恵と学習の道は一つではない。多くのチャネルがある」ボブ・オーブレー(一九九八年)

 出だしから読者の皆さんに問いかけたこの二組の主張・言説のコントラストからもおわかりのように、社会や組織やリーダーシップをめぐる重要な見解は、実は古今東西を問わず人間の営みとして共通するものがある。
 過去三十年以上、ビジネス、マネジメント、組織、集団、指導力などの諸問題を、異文化という文脈の中で研究し、各種の国際経営活動を実践するなかで解決してきた筆者は、二十数年前から、地理を越え歴史を越えた共通の智恵があることに、次第に気づくようになった。今日、グローバル化や情報技術化という新しいパラダイムのもとに、日本の企業や組織はどうやって次の時代を拓いていくか、突破口を求めて苦悩している。実はその探究の重要な糸口は、ヴォルテールがかつてエルドラード(黄金郷)を求めてめぐり歩いた結果、結局のところ、真の楽園は裏庭にあるのを発見したということと、同じようなことなのかもしれない。古典を脚下照顧し、真の教養として自家薬籠中のものとすることが、案外近道なのではないか。
 わが国の組織運営は、第二次世界大戦後、とうとうとして流入してきた米国中心の「むくつけき」市場中心主義のマネジメント概念が主流である。この概念では、生身の人間を直視しない。そこには限界があると思う。もう一度、現代の組織社会運営問題への大切なヒントを、インドや中国そして日本などのアジアの知恵から捉えなおす。欧米においても、ユダヤ、キリスト、イスラムの伝統やギリシャ・ローマ文化の再検証が、マネジメント問題とのかかわりにおいて、とみに問われるようになってきている。
 ここに上梓する一書は、国際経営に携わる一学徒が、マネジメントとビジネスの真の知恵の探究を、内外の古典、とくに日本そして就中、江戸時代の考え方から模索した記録である。
 かつて昭和電工の鈴木治雄元会長にお会いした際に、「今重要なのは二十五歳下の人々(若い世代の人々)と二十五歳以上の人々(すなわち先人)との交わりだろう。そして古典の読書を通じて、次の時代に生きるウィズダムを磨くことだ」と言っておられたが、この本はそうした趣旨にも適うものと信じる。
 二十一世紀の日本の組織マネジメントを築く努力を、それぞれの場で営々孜々として日々励んでいる皆さんのために、この一書が、少しでも役立てば望外の幸せである。