はじめに 木村結子

「おいしい」という感覚は、本来、主観的で移ろいやすいものだと思う。たとえば、誰かと同じ料理を一緒に楽しんだとしても、私の「おいしい」とあなたの「おいしい」が同じであるとはかぎらないし、それをはかる術もない。また、どんなにおいしいものでも、たいがいは三日もつづけば飽きてしまう。だから「美食」と呼ばれているものが、時に応じて変化することにはなんの不思議もない。しかし、このきわめて個人的なものである味覚を基準としているはずの美食に、ある種のトレンドがあるのはなぜだろう。「現代的な味」とか、「時代遅れの料理」が存在するのは、美食に社会性がある証拠ではないだろうか。現に美食には歴史があり体系がある。決して誰かの気まぐれや、個人の好き嫌いだけで現代まで進んできたのではない。
 そのことに思い当たったのは、五年ほど前に、辻芳樹さんという人に出会ったことがきっかけだった。辻調理師専門学校の校長である辻芳樹さんは、プロの料理人の育成に当たる教育者でsると同時に、まだ三十代という若さで世界の一流レストランの味に通じる、稀代の美食家でもある。
 実を言うとそれまでは、美食というものをあまり真剣に受け取っていなかった。グルメ批評というものの必要性が今ひとつわからなかったし、美食家と呼ばれる人たちについても、せいぜい優雅なペダントというくらいの認識しかなかった。それが職業として成り立ち得る状況というのは、想像もつかなかった。ところがたまたまある雑誌の取材で、辻芳樹さんと二週間にわたってスコットランドでレストラン巡りをすることになってしまった。美食家と呼ばれる人と、しかもグルメ旅行をすることになった以上、ここはできるだけ偏見を捨てて行こう、なにはともあれ、この人の食べるものを一緒に食べてみようと思った。幸い食べることは大好きだったし、胃袋の丈夫さにはいささかの自信があった。
 それから二週間、連日の「美食攻め」に取材班の何人かが音をあげるなかで、とにかく最後まで気を入れて食べることを自分に課した。興味を持ってメニューを見て、何が食べたいかよく考えて注文し、出された料理に集中して、よく味わって食べる、という辻芳樹さんの食べ方に徹底的につき合ってみようと思った。たったこれだけのことだが、つづけてやってみると、精神的にも肉体的にも決して楽ではないことがわかった。それから、注意深く料理されたものと、そうでないものの違いが、食事というささやかな時間の流れを驚くほど変えてしまうことを改めて思い知った。どうしてこういうことが起こるのか、しつこく尋ねる私に、辻芳樹さんは、驚くほどていねいに答えてくれた。
 そうするうちに、美食というものの背景にあるさまざまな要素、国や民族の歴史、政治、経済、文化や風土との関わりといった、実にさまざまなことが見えてきた。また、こういった広い知識と、味覚という生まれ持っての優れた感覚と、実際にたくさんの料理を食べることでしか培えない経験、という要素をすべて兼ね備えて初めて成り立つ、美食家という特殊な職業がおぼろげに理解できてきた。となると、これはもっと人に知ってもらっていいことのように思えてきた。
 そういうわけで、この本を書くことになった。

 この本は、現在私たちが考える美食というものがどんなふうに作られ、体系化され、そして、それがどのように変化し、未来に向かってどんな形を取りつつあるのかについて、ハンガリー、フランス、スペイン、アメリカという四つの国を旅して、実際そこの料理を食べながら、辻芳樹というプロの美食家とともに考えていった記録である。そのなかでは、長い間、高級西洋料理を支配してきたフランス料理の影響が、異なる背景のなかで、とくに土着の料理文化とのせめぎあいのなかで、どんなふうに解釈され、変化してきたかということが、ひとつの焦点になった。
 訪問先にこれらの国を選んだのは、それぞれの国の美食に対するアプローチに、はっきりとした相違を見ることができると考えたからだ。ハンガリーではまさに今、独自の美食文化を立て直そうとしている人たちの奮闘ぶりを目にした。フランスでは、伝統の上に新しい「おいしさ」の概念を打ち立てようとする料理人たちの静かな闘志を感じ、伝統料理の宝庫スペインであえて美食の進化を信じ、実践する人たちの息吹に触れた。そして最後にアメリカで、これまで料理にはめられていた地域的・文化的枠組みを、あっさり取り払ってしまうような大きな変化の潮流に接した。
 どこの国でもとくに名を挙げてご紹介したレストランは、その質の高さにおいて私たちが絶対の自信を持ってお勧めできる店だけを選んだのは言うまでもないが、だからといって、これが各国のベスト・レストランのリストであるというつもりはなく、もとより私たちの選択に格付けの意図は毛頭ないことをお断りしておきたい。レストランの選択に際して私たちは、料理の完成度の高さと同様に、そこに美食の未来を指し示すような要素があるかどうか、ということを重視した。その意味において、この本は決して便利なグルメガイドではないし、各国の美食事情を語り尽くしているともいえない。あくまで、それぞれの国の、美食の最先端を巡る旅の記録である。現在を知る上で、時には歴史を遡る必要があったので、そこではちょっとした時間旅行に脱線していることをお赦しいただきたい。
 同時に、私にとっては「おいしさ」とは何なのか、という長い間の個人的疑問の答えを探す旅でもあった。残念ながらはっきりとした答えが見つかったとは言いがたいが、いずれわかるときが来ると思う。

 味わう能力の高さよりは、食べられる量の多さを武器に、足掛け三年にもわたる取材の中で、実際には名前を挙げた何倍もの数のレストランを食べ歩いた。その中で理解できたことも、できなかったことも、もしかしたら誤解してしまったことも含めて、書いたことの責任はすべて著者個人にある。
 料理の専門家ではない私の、しばしば的外れな質問に辛抱強くつき合ってくれた辻芳樹さんにお礼を言いたい。また、取材に同行してくれた辻調理師専門学校の調理技術の先生方、同校企画部ならびに辻静雄料理教育研究所のスタッフのみなさんがその都度補ってくれた専門知識が無ければ、とても書き上げることはできなかっただろう。いちいちお名前を挙げることはしませんが、心から感謝しています。みなさんの見識とプロフェッショナリズム、とくに料理を前にした時の真摯な態度にはいつも勇気づけられました。世の中に食べるということにこんなに真剣に取り組んでいる人がいるという事実が、この本を書き続ける原動力になったことは言うまでもない。最後に、この本を企画の段階からずっと見守ってくれた小山伸二さんのお名前だけは、挙げずにはいられない。彼の惜しみない助力と励ましがなければ、この本は書き始めることすらかなわなかったと思う。小山さんには、この本の名づけ親にもなっていただいた。
 あとはこの奇妙なグルメ旅行につき合ってくださる読者のみなさんが、少しでもこの旅を楽しまれることを願うのみである。