あとがき



 積みあげられた書物の山を少しずつ崩しながら、つぎはなにを読もうかと思案するときの楽しさ。開いた頁にどんどん引き込まれ、あっというまに時を過ごし、ふいに我に返ったときの惚けたような喜び。読み終えたばかりの本を、気心の知れた仲間とあれこれ論評してみるときの、ちょっとした緊張感。本をとりまくすべての事柄が、私にはあまりに近しく、あまりに日常的なので、ほんとうはひろい視野と柔らかい感受性と論理的な思考力を兼ねそなえた者でなければとうていこなせない書評という仕事にも、誘われるままついつい手を染めてきた。
 数百字から数千字のあいだにおさまる短い文章ではあれ、他者の才能と対話を交わそうとするたびにあたまは真っ白になって、一篇書きあげるたびに、まるで歯が生えはじめた幼児さながらの知恵熱に見舞われてしまうのだが、しかしその熱は、私の精神衛生にどうやらとてもいいらしい。書評の器に盛ったおかげで、ただ漫然と読んでいただけでは理解できなかったこと、人と話をするだけでは腹に染みてこなかったことが、はっきりした輪郭をともなって見えてくる。規定の枠に収めるために言葉を刈り込む作業も、ふだんだらだら書きつづけるだけの私に、たいへん役にたった。
 本書は、そんなふうに恒常的な知恵熱のなかで書き溜めてきた文章の一部をまとめた「書評集」である。ひととおり読み返してみると、その時々に味わった昂奮や締め切りまぎわの苦しみが、まざまざとよみがえってくる。言うまでもなく、書評はひとりではできない。著者がいて、本があって、その本を対象にした感想文をいついつまでに渡しなさいと命じてくれる編集者がいて、さらにそれを活字にする媒体があって、ようやく成立するものだ。出会いの場を与えてくれた方々に、この場を借りて深く御礼申しあげたい。
 読み終えた一冊一冊から響いてきたさまざまな音を記録しておく――、そんな意味をこめて、タイトルは「本の音」とした。読書ノートをつける習慣のない私にとって、本書はいずれ貴重な「本ノオト」になってくれるだろう。「の」をはずした「本音」も聞き取っていただければ幸いである。