1 自然からのプレゼント

 麦を粉に挽き、水で捏ね、焼き上げたものを糧にする。これがパンの原型のようです。源初は小麦ではなく大麦を使い、無発酵のまま焼き上げていたと考えられています。パン食文化の起源は古代メソポタミア文明、もしくはそれ以前まで逆上ると言われています。タイムカプセルがあるのなら、はるか6、7000年前の彼の地まで旅立ってみたいほどです。
 当時の天候は? 土地の状態は? 麦畑の景観は? 文明は? 誰がどうやってパンを作っていたのだろうか? お味は? みんなどんな生活をしていたのだろう? いい男もいたんだろうな? くどかれたらどうしよう? 少しだけならね? 恋に落ちたらどうなってしまうの? パン作り及び他諸々への探究心はロマンをかき立て、妄想から邪念の果てまで尽きることはありません。
 メソポタミアとはギリシャ語で河間の地という意味だそうです。トルコ東部からペルシャ湾に向かって南下するあたり、チグリス川とユーフラテス川が合流してペルシャ湾に注ぎ込んでいます。さぞ肥沃な土地だったことでしょう。東洋と西洋の接合地点。文明文化も私の想像以上に素晴らしいものであったでしょう。麦畑、そして原始的な平焼きパンの故郷です。古代の麦畑を吹き抜ける風に愛撫されてみたいです。
 メソポタミアで発祥した平焼きパンが古代エジプトに伝播し、たまたま自然発酵してしまった生地を焼いたものが、現在の発酵パンの元祖と言われています。非加熱の状態で挽かれた麦は麦本来が付着させている酵母菌や空気中に存在する野性酵母(バクテリア)を発酵源として、比較的自然発酵しやすいものです。発泡を持つ単純な発酵なら、30度以上の気温ではものの数時間でパン生地状態の気泡を持ちます。ただし、この単純な発酵は発酵生地としてのパンらしい美味しさや風味はまだ有しません。単に生地がふわふわして食べやすくなった程度の変化です。私の想像の範囲ですが、パンの古生地の付着した容器で次の生地を捏ね、またその古生地が残り、その容器でまた生地を捏ね……を繰り返しているうちに、ある時……。
 本当に美味しくて発酵風味豊かなパンが偶然作れたのではないかと考えています。古代エジプト人は発酵生地のパンの美味しさに驚き、発酵パンは神様からの贈り物と考えたそうです。麦生地の単純な発泡程度の若い発酵なら、メソポタミアの時代にも当然あったと思います。天の恵み、神様からの贈り物と絶賛できるほど美味しく発酵させるには単発の発酵では無理です。
 私がなぜ、このような酔狂な推理に思い至るのかというと、自分ですべて実験済だからです。
 私の手元には日本人には馴染みの無い硬質の大粒な麦があります。古代エジプト小麦カムットと命名されている麦です。普通の麦粒の2、3倍の大きさです。麦穂も大きく、麦棹も長身で、ごついです。起源は5、6000年前の古代エジプトとされる二粒系のデュラム小麦です。この麦は非常に発酵力が強く、水で捏ねて放っておくだけでパン生地状の気泡を立てます。しかし、それを焼いて食べてもパンらしい風味は無く、美味しいとも言えません。日にちをかけて何度も種継ぎ(つまり最初に捏ねた生地に小麦粉と水を混ぜ加えて生地を継続させていく行為のことです)を続けると、ある時、突然芳しい発酵の匂いを持ちはじめます。その匂いはパン生地にそっくりで、焼いて食べると極上のパンの味わいと強い発酵力を備え持っものになっています。カムットの粉そのものはエグい味がしてクセがあり、あまり好きではありません。種継ぎに使ったのは三粒系の普通の小麦粉です。カムットは現在の小麦のご先祖様ではないかと考える学者もいるそうです。ご先祖様だけで種継ぎしたパンは発酵力が強くても、なかなかワイルドでごつい味わいのパンになってしまいます。古代エジプト人がどのような麦を好んだのかは知るよしもありませんが、私が作りだした自然発酵種のパンとは同一ではないでしょう。
 しかし、私も小麦粉と水だけでパン種が起こせて、天からの恵みと思えるほど美味しいパンが作れた時は本当に神様からの贈り物だと実感しました。市販のイ−ストや天然酵母を添加したのでもなく、野菜や果物から採取した酵母を添加したのでもなく。麦という大地の穀物と水、そして空気と時間。たったそれだけで、他のどの酵母にも劣らない強い発酵力と芳しい風味を持つパンが作れるなんて、麦畑ロマンの夢が実現したような気持ちになりました。麦畑を尋ね回ったり、恥や冷や汗をかきながら世界中をほっつき歩いた甲斐があったと思ったし、古代エジプト人がまるで今、隣にいる人みたいに思えました。古代麦畑の風の匂いをほんの少し嗅いだ気がします。こんな瞬間に、自分の諸行が報われたと感じます。儲かるとか報酬を受け取るとかのビジネス成果では満足しないようです。
 古代エジプトで発祥した発酵パンは古代ギリシャに伝播しました。ギリシャでは職業的規模で発酵パンが製造されたそうです。言うなればパン屋さんのご先祖様が古代ギリシャです。ギリシャ時代といえば紀元前8、9世紀くらいから前4世紀くらいまでの時代です。このギリシャ文明が後のヨ−ロッパ文明につながっていくのはご承知の通りです。ギリシャで大発展を遂げたパン作りはロ−マ帝国に伝播します。ロ−マ帝国では職業的パン作りがさらに大規模化され、パンの大量生産の幕開けとなりました。すべての道はロ−マに通ずと言われている通り、ロ−マが発祥地となりヨ−ロッパ各地にパン作りが広がりました。一口にパンと言っても、何て長い時間と距離を辿っていったのでしょう。
 定住と継続を余儀なくされる稲作文化と違い、麦文化はどこか風来坊です。時空を旅する穀物と呼びたくなるほど、麦のきた道、行った道は波瀾万丈に富んでいます。良いことばかりではありません。キリスト教の布教の元で、他宗教の弾圧に利用されたこともある作物です。麦が悪いのでも、キリスト教が悪いのでもありません。特定の民族が他の民族を侵略したり抑圧したりする時、宗教や食べ物が人間都合の大義名分の元で悪用されます。他宗教や他民族を尊重できないのは人間が間違っているせいです。麦やイエス様のせいではありません。他者を殺生することはどんな宗教も戒めていることです。麦の原産地の地域も政治的にはたくさんの紛争をいまだ抱えています。平和を望んでいるのは逃げも隠れもできない植物群も一緒でしょう。麦が言葉を話せたら、連綿と見つめつづけた人間の歴史をいったいなんと語るでしょうか?
 麦文化に魅了され、麦畑にロマンを馳せて、気づくとせっせとパン作り。別に職業的パン屋になりたいと思ったことは一度もありません。でも、麦という植物のプロになりたいとは何度も思いました。パン屋でもなく、お菓子屋でもなく、学者でもなく、農家でもなく……肩書の無い「麦屋さん」。よく「なぜ麦なんですか?」と訝しがられます。「だって、ほら、麦ってロマンティックでしょ?」と答えると、〈……アホ!〉という呆れ顔をされます。それでいいと思います。出来合いの既成オシゴトなんて退屈なだけですから。
 さて、パン屋でも職人でも先生でもない「麦屋」が、一粒の麦にならんとして、秘伝 自然発酵種のパン作りを公開します。本稿の基軸を成す種は正確には「自家製酵母自然発酵種=ルヴァン・ナチュレル」です。パン職人になりなさいという趣旨ではありません。小麦の自然発酵という不思議な世界と、パン作りという創造的な世界が合致して繰り広げられる「天と大地の恵みワ−ルド」を旅していただきたくて書きました。夏休みの前に買ってもらった麦わら帽子。あんな幸せな匂いの風を感じてくだされば幸いです。