あとがき

 二〇〇一年九月一一日に起こったニューヨークの世界貿易センター・ビルへのハイジャック機によるテロが起こったときのことだが、変な映像がテレビに映っていると人から声をかけられ、モニターを見ていると、二機目の飛行機がもうツインビルのひとつの建物に激突した。激突した飛行機はどうみても旅客機なので、ハイジャック以外に考えられなかった。とすればテロだと瞬間に了解した。しかし、これまでのテロとは比較にならない規模の大きさだった。まるで戦争のような光景だった。やがてビルは二棟とも崩壊してしまった。現場は悲惨な事態になっているだろうことがすぐに想像できた。しかし、それが戦争ではなくテロであることは間違いなく、これをどう対処するのかが気になった。 CNNニュースは、すぐにAMERICAN´S NEW WARという文字をニュース番組の画面に付け、戦争であるという認識を定着させていった。そしてブッシュ、アメリカ大統領もすぐにテロリストへの戦争行為という言説を持って、アフガニスタンのタリバンへの空爆を始めた。一二月の時点では、タリバンは壊滅的な状態になり、反タリバン勢力の北部同盟が支配権を握る形で事態は進行している。アメリカの空爆も継続している。 ニューヨークの世界貿易センター・ビルへのテロが卑劣なことであり、悲惨な事態を生んだことはもちろん批判されなければならない。けれども、アメリカの空爆は、近代社会における約束に則った「戦争」といえるのだろうか。宣戦布告もなければ、戦争にかかわるさまざまな約束事を満たしたとはいえない。
 したがって、アフガニスタンへの空爆はテロに対する報復テロといっていいだろう。それはイスラエルとパレスチナで起こっているテロと報復テロとどこかで似ている。それをまるで戦争を思わせるほどの規模で展開したということだ。これは戦争ではないことを強調しておいた方がいい。
 二〇世紀は、新たな社会をいかにデザインするかというさまざまな実験が実践された。新たな社会のデザインには、もちろん理想とされる理念とモデルがそれぞれ存在している。たとえば、一九二〇年代から三〇年代に広がったモダニズムのデザインは、環境を普遍的(ユニヴァーサル)あるいはインターナショナルなデザインによって構成しようとした。それは、地域性を越えてヨーロッパであれアメリカであれアジアであれアフリカであれ成立するデザインによって環境を構成しようとする理念によっていた。その矛盾は、本書では何度か指摘した。
 今日、そうしたモダニズムの普遍主義やインターナショナリズムへの夢は、次々に崩れ去っていくようにみえる。これまでとは異なった規模でのテロと報復テロが引き起こされたことをみても、新たな社会を理性的な約束事を背景にインターナショナルな視点からデザインしようとした近代社会の理念が崩れ去ったことがわかる。してみれば、社会の理念だけではなく、それと相同的であったモダニズムのデザインの理念も同様の事態にあるのかもしれない。
 雑誌や美術館では、モダニズムのデザインにかんする特集や展覧会がふえ、多くの入場者がつめかけている。この現象と、近代社会の理念そのものが崩れ去っていることとは、どのような関係にあるのだろうか。モダニズムのデザインは、いまや懐かしい近代のイメージとして扱われているのかもしれない。
 こうした現在の状況の中で、二〇世紀がいかにデザインされたのかということをめぐって再度議論してみる必要があるように思える。本書は、そうした議論の手がかりとなるかもしれないこれまでに書いた文章をあつめて一冊にまとめたものである。

二〇〇一年一二月
柏木 博