まえがき

 冒頭から後日談めいた話になってしまうが、この本の原稿がだいたいそろったところで、現実の世界では同時多発テロ事件が起きた。
 多くの人たちと同様、私もテレビに釘付けとなり、新聞や雑誌を買いあさったりインターネットで情報を集めたりする日々が続いた。外出中も携帯電話のiモードで通信社のサイトを常にチェックしてしまう。たぶん目の前の現実から逃避するためもあるのだろうが、私はもともとニュース全般が好きなほうだ。でも、これまた多くの人たちと同じように、こんなにひとつのできごとに心を奪われたのははじめてだった。
 もちろん、その間も大学では講義をするし、雑誌の連載などのために原稿も執筆する。でも、現実に目の前で(というか実際にはメディアの中でなのだが)進行しているできごとのインパクトの強さに比べ、自分が仕事で教えたり書いたりしていることはあまりに薄っぺらく見えてきた。

 この本の母体となったのは、私が発行しているインターネットのメールマガジン『香山ココロ週報』である。これは、ソネットのコンテンツのひとつとして約2年前からはじめた試みだ。とはいっても、「自由にやってください」というソネット側の好意に甘え、発行ペースも内容もかなり“気分まかせ”。日記形式で最近の自分の仕事や生活について書いてみたり、マスコミで取り上げられる事件や社会現象について精神医学的な立場から解説を加えてみたり、「これを知っていると便利」みたいなキーワードをあげて説明してみたり。
 そのキーワードの部分と2000年7月から1年分の日記を再構成したのが、本書なのだ。
 掲示板などを備えたホームページとは違って、メールマガジンは一方的に読者に送付されるあまりインタラクティブ性の高くないメディアだ。でも、感想や意見のメールを送るのは、雑誌の読者ハガキを切り取って書き込んで投函するよりずっと簡単。このメールマガジンにも毎週、たくさんの読者の方からメールが寄せられた。
 最初は集まったメールを分類したり統計的な処理を施したりして、「先週のメールの傾向はこうでした」などと発表していくつもりだったが、どのメールもとても内容が濃く、結局、読むだけで精一杯となることがほとんど。ごくたまに一部を引用させていただいたり、簡単な傾向分析をして報告したりもしたけれど、あまり有効な形でメルマガ誌面に反映させることはできなかったかもしれない。
 そういう反省もあり、この本をまとめるにあたっては、なるべく「境界例についてもっと教えてください」「友だちがパニック障害なのですが、それってどんな病気?」「先号のひきこもりについての記述は、もの足りなかったです」といったメールの質問や意見にこたえる形で加筆を行うことにした。つまり、とてもディレイがかかってしまったけれど、メルマガからこの本に至るプロセスで、「メルマガ→読者からのメール→それへのレスとしての本」という形のインタラクティブなやり取りが実現した、とも言えるわけだ。

 その意味で、メルマガ読者のみなさんとの共同作業で書き上げることのできた本書に、私はとても満足……していた。そう、テロ事件が起きるまでは。
 そのあとの私の混乱ぶりについては、冒頭で紹介した通りだ。
 今、自分がかかわっている仕事のほとんどすべてに対して、私は「世界が大変な状況にあるのに、こんなことして何の意味があるのだ」と懐疑的になってしまった。それは、本書に対しても同じことだった。とくに、お気楽な私の日常をつづった日記の部分に対しては、「毎日、映画見たり漫画読んだりして過ごすこんな自堕落な生活を活字にして、いったいどうなるというのか」と強い嫌悪感さえ抱いた。

 そんな虚無感の中で私は、数年前に病院で体験したあるできごとを突然、思い出した。
 それは、外来で診療をしているときのことだった。どちらかというとのんびりムードのその病院では、日常の診療は診察室のドアを開けっ放しにしたまま行っており、待合室のテレビの音声も部分的に入ってきた。
 ある日、診察室でうつ病の中年女性と話していると、待合室のテレビから「金日成死去」というフレーズが聞こえてくるではないか。私は驚いて思わず、「ねえ、金日成が死んだのかな? たいへんじゃない!」とその女性に言ってしまった。「診察中に不謹慎な」と思われるかもしれないが、彼女とは長いつき合いで雑談なども自由にしあえる雰囲気ができていたのだ(と思う)。
 すると当時は病状も安定し、どちらかというと職場のグチなどをしゃべりに来ていた彼女は、苦笑しながらこう言ったのだ。
 「はいはい、大変かもしれませんねぇ。でも先生、私は明日もあの工場に行かなければならないし。工場の山田主任ったら私にこんなこと言うんですよ、まったくハラが立っちゃう……」。
 それからまた、彼女は日常的な職場の対人関係を語り出した。私はそのとき、「金日成死去は世界的な大問題だが、それで現実の次元の問題や悩み、病気が消えてなくなるわけではないのだ」というごくごくあたりまえのことを、身を持って実感したのだった。
 そしてそういった現実の中でのさまざまな問題に対処するために、たとえどんな世の中になろうと知識や治療の技術などは変わらず必要となる。

 金日成が亡くなっても、うつ病がなくなるわけではない。
 そのことを私は、もう一度、改めて思い出した。
 今だって、基本的にはそれと同じ。世の中がどうなろうと、必要な精神医学や心理学のキーワード、知識、治療法などは、変わることなくあるはずなのだ。
 そう思って私は、書き上げた原稿を読み直し、そして「これはやっぱり本にしよう」と心を決めた。その“おまけ”として、私の脳天気な毎日の生活をちょっとだけ読んでもらっても、まあ、いいじゃないか。ちょっと自分に都合よくそうも思って、日記の部分もそのまま掲載させてもらいました。

 そういうわけでやっとでき上がった、いろいろ“ワケあり”のこの本、どうぞ見てやってください。



──「II 時代を映す鏡となる病」より──
同一性拡散



 同一性拡散という概念は、「アイデンティティ」ということばを作ったエリクソンにより提唱された。最初、エリクソンはこれを病的な状態たとしていたが、後に若者一般の心理傾向かもしれない、と考えを変えている。
 では、同一性拡散とは何だろう。エリクソンは「アイデンティティが形成される途上で社会から与えられたモラトリアム期間を利用して、さまざまな試みや社会的遊びをしながら自己を統合していくことができない状態」と定義している。ここで具体的に生じる問題としては、「自意識の過剰、選択や決断ができなくなること、社会的な決定の回避、相手にのみ込まれたり孤立したりといった対人関係の距離の失調、切迫感と間延びした感じが同時に訪れる時間間隔の失調」などがあげられている。ひとことで言えば、「健全なバランス感覚の喪失」の中で、「本当の自分とは何かが失われ、見つける手がかりさえない状態」とでもまとめることができるかもしれない。
 そして、そのあげくに同一性拡散状態になった若者がしばしば取りがちなのが、「否定的同一性の選択」という道である。これは、とくに家族などの身近なおとなたちが望ましいと思っていることや将来像、自分に対する期待などがすべて嫌らしく軽蔑すべきものに見えてきて、結局、それらとまったく正反対の生き方を歩む、ということだ。
 たとえば、ミリオン・セラーになった『プラトニック・セックス』の中でも、著者の飯島愛さんは繰り返し、両親がとても厳しかったという話をしている。彼女がちょっとおしゃれをしたりボーイフレンドを作ったりするだけで、父親は激怒し、ときには暴力を振るわれることもあった。両親は彼女をいわゆるお嬢様学校に入れて、むずかしい文学全集を読むような子どもにしようとしていたようだ。そしてそうされればされるほど、飯島さんは遊びや異性とのつき合いに走るようになり、ついには家出をして同棲したり、風俗の世界に飛びこんだりする。これなどもまさに、「否定的同一性の選択」と言えるのではないだろうか。古い話になるが、今は亡きジョン・レノンの妻として平和活動などで活躍するオノヨーコさんも、もともとは重役の令嬢だったが、親に反発するように過激な前衛芸術家の道を選んだことが知られている。
 もちろん、飯島愛さんにしてもオノヨーコさんにしても結果的にはその選択が個性となり成功したわけだが、中にはいったん両親やまわりの価値観に背く道を選んだもののやはりそれが本当の同一性ではないことに気づき、また道を失ってしまう人も少なくないだろう。
 ここまでの話でもわかるように、かつては病理現象だったこの同一性拡散は、今や若者ならだれもが経験する意識といってもよいほど広く見られるふつうの心理となってしまった。さらに、同一性拡散じたいもエリクソンがこの概念を提唱した時からはずいぶん変わってきたと思われる。
 まず、当初は「社会的遊びができない硬直化した心を持つ若者」に多く見られると考えられていた同一性拡散だが、今はそれとは反対に、「あまりに社会的な遊びが多すぎて、ひとつに決められない」ために起きることが多いのではないか。あるいは、社会の価値があまりに変動するため、「これかな」と思ってもまたすぐに次のよいものが生まれたり、自分が選びかけていた道が途切れたりする。そのために拡散させるつもりはなくても、自己はなかなか確立しづらい状況になっている。
 あるいはそういう状況を見越して、最初から同一性の確立をあきらめている、もしくはもっと積極的に放棄している若者も少なくない。就職をせずにフリーターとしてアルバイトでつないで行く、大学を出てからまた専門学校の“ハシゴ”をする、外国に放浪の旅に出たり国内で遍路をしたり修験道の修行を始める…。いずれにもあまりに大きなリスクは請負たくはないが、ある程度の宙ぶらりん状況を自分で作り出して、その中で適度に同一性を拡散させておきたい、という心理が隠れているように思う。
 でも、いつまでも同一性が拡散したままでは、やはり居心地が悪いと感じる人たちも出てくる。そういう人たちが今、しばしば選ぶのが、ある特定のイメージにではなくて自分が所属している集団の同一性に自分を合わせる「仲間性自己」の確立という道だ。ちょっと古い話になるが、みんなで同じような服装をしていっしょに遊ぶチーマー、あるいはだれかが顔を黒くして底の厚いブーツをはけばそれに右へならえするガングロコギャルなどの社会現象は、強烈な仲間性自己のひとつの例だった。
 そして今はさらに、仲間性自己よりさらに抽象的な自己が生まれているように思う。それは、人にではなくて町やストリートに同一化するという自己確立法だ。今、多くの若者が路上に座り込み、平気で携帯電話で話したりごはんを食べたりしている。彼らにとっては町の一部に溶け込んでいることが、かつての「同じようなスタイルをした仲間といっしょにいる」のと同じ意味を持っているのではないだろうか。いやもしかしたら、「人に合わせる」ということすら、彼らにとってはエネルギーを要するしんどいことなので、それができなくて顔や名前を持たない町の一部に同一化する道を選んでいるだけなのかもしれないが。
 いずれにしても、20代前半までにきちんとした自己を確立することができる若者など、今の社会にはほとんどいないと言ってもおかしくないほど、同一性拡散の心理はだれにとってもあたりまえになってしまった。それでも人は「何かに同一化したい、何者かになりたい」と志向するものなどしたら、私たちがこれからしなければならないのはなんだろう? それは、「しっかりした自分をどうやって作り上げるか」ということではなく、同一性が拡散していることによるあせりや不安を解消する方法が自己確立のほかにないだろうか、とさがすことなのではないだろうか。それともやはり、人間にとって「アイデンティティの確立」にまさる目標など見つかるわけはないのだろうか?