エピローグ

 アフガニスタンにはインダス文明よりはるかに古く紀元前五万年に遡る旧石器の遺跡があることはあまり知られていない。ヒンドゥー・クシュの南北の縁に多くの先史の遺跡が散在しているのである。悠遠な歴史を育んできたこの国は、近代になって世界でもっとも激烈な歴史を生きることを強いられた。強大な帝国の圧迫によって外交権を奪われ、帝国の押しつける人為的、戦略的な国境画定に苦しみつづけ、多民族国家ゆえに抱えこまざるをえない矛盾を利用されつづけ、人びとは揺れ、近代をかならずしも新しい光(ヌーリス)として受け取ることはできなかった。
そして誰もがアフガニスタンの苦闘を、近代のねじれを、アジアの中心にあるがゆえに一身に引き受けなければならなかった苦渋を、理解することができなかった。「苦しみが快楽を生みだす」としても、長過ぎる苦しみは、いつしか戦いの日々を日常化してその異常さを気づかせなくする。アフガニスタンの不幸がタリバンを生み出した。しかしタリバンは、みずからの曲折した歴史を眺め省みる知性に欠けていたがゆえに、利用される愚行をかさねて人びとを苦しみへと駆り立てたといえる。

 ヘロドトスは『歴史』の冒頭でつぎのように記した。「人間界の出来事は時の移ろうとともに忘れ去られる」、だからこそ「やがて世の人に知られなくなるのを恐れて」歴史を書くのだと。爆破されて失われたバーミヤンの大仏も、いろいろな人がさまざまな形でイメージや言葉で語り継ぐことによって、記憶の中に残しつづけなければならない。人類の遺産は存在するものばかりではない。記憶として存在するもの、ムネモシュネ(記憶の女神)に託されたものもまた人間にとっては心の糧なのである。
 バーミヤンの大仏は失われても、壁画の大半が砂塵と化したとしても、大仏龕も仏堂もなお残されており、まだ未踏査の石窟も多々あり、なお世界遺産としての重要性はいささかも失われていない。バーミヤンはアフガニスタンの再興にとっても、宗教の差異を超えた平和を象徴する文化遺産として、かけがえのない役割を果すものとなるだろう。

 神のものぞ 東方の世界
 神のものぞ 西方の世界
 北と南の国々も
 神のみ手の平和のうちに憩う
 『西東詩集』

 ゲーテにとって神はアッラーであり、ゾロアスターであり、仏陀であり、イエスであり、それらを信ずる人びとすべてであった。バーミヤンを訪れ、大仏を見上げた人びともこのように多様であった。そしてすべての人が、バーミヤンの青空と輝く摩崖をめで、人類のつくりだした巨像の壮大さにうたれ、美しい渓谷の静寂を愛した。
 「ファルダー」(明日があるさ)、大仏なきバーミヤンにこんどは平和を愛する人びとが押し寄せるだろう。こんなにも有名になったんだから。夢見るその日のために、私はガイドブックを書くだろう。