アフガニスタン・ノート

 アフガニスタンに無関心ではいられない。どんなに突きはなした目で見ようとしても、その魔力と狂気が迫ってくる。この国でときを過ごしながら、この国とかかわることによって強く心を動かされなかった人をわたしは知らない。たとえばボリビアについては何も知らなくても、アフガニスタンについては、一度も訪れたことがない人でもはっきりしたイメージをもっているように思う。
ヒッピーをきどっていたころは実際にはまだ行ったことがなかった。一時期、アフガンのコートを着ていたことがある。ぬれると、おそろしく臭くなるしろものだった。アフガン産と称するドラッグもよく吸った。アフガンという名がつけば、あやしげな商人が売りつける乾燥したラクダの糞さえ、なにやら特別の値打ちがあるような気がした。
できることならそのような「黄金」時代のアフガンに行ってみたかった。ある本で、異国情緒たっぷりの彩色をほどこしたアフガンのトラックの写真を見たことがある。アフガニスタンを旅した人びとが大げさに語る草原と少女たちと未開の時代の物語。アフガンの人びとの並外れた歓待とすばらしい風景に、ヒッピーが魅了される。1970年代の話であった。

初めてタリバンの名を耳にしたのは、カブールにいたときだ。BBCの海外向け短波ラジオ放送で、新興の民兵軍についての報道があった。ソ連軍撤退後のアフガニスタンは内乱の時代で、いくつもの武装グループによって国が分断されていた。タリバンは南部の都市カンダハルで頭角を現した新興勢力であり、武装グループのひとつによって拉致されたパキスタン人のトラック部隊を解放したことで、世界にその名を広めたのだった。このときの報道では、タリバンは強硬な原理主義者だが、誠実な集団とされていた。新たな犯罪集団ではないらしい。ではいったい何者なのか。自分の目で確かめに行くべきではないか。とはいえ次から次へと現れる武装集団のひとつひとつにいちいち関心を向けてはいられない。それきりタリバンのことは忘れていた。

カブールの前線にハミダが連れていってくれた。ハミダのおんぼろのロシア製ジープに乗っていったが、目的地に着く前に車が故障してしまう。このままでは車を盗まれてしまう、とハミダはあわてふためいた。数人の銃をもった若者の助けを借り、どうにかエンジンをかけることができた。ロイター通信のフランス人カメラマンであるハミダは、カブール在住で、仕事の腕はよい。どこへ行くときも、ばかでかい三脚を持っていく。ハミダはほかに用があるといって、途中で引き返した。その先は歩いていくことにする。「ドゥシュマンという言葉を覚えていろ」とハミダが言った。「敵」を意味するのだそうだ。「ドゥシュマン・ベー?」(「敵はどこだ?」)本当に役に立った。……

 その夜の寝床に選んだのは、地震による崩壊をまぬがれた丘の上。地盤が強固で、前の衝撃にもちこたえたようだった。
わたしたちの前には、老人とその家族が立てた赤十字の白いテントがあった。テントの裏の野原で野宿したいが、かまわないかと老人に訊くと、老人は「ウエルカム(ようこそ)」と言った。野原には鮮やかな赤いケシが群生し、夕焼けの光でいっそう赤く染まってみえた。
ビニルシートを敷き、その上に寝袋を広げて落ちつくと、村長と村の老人たちが現れ、しばらく話をしていった。村長もほかの男たちもみな農夫だという。村長は地震による土石流で羊の多くを失っていた。村長もほかの男たちも非常勤の戦士で、必要なときだけ銃をもち、闘いが終わると、村に帰って農業に戻るそうだ。タリバンに悩まされている者は誰もいないようだった。ここにはタリバンは来ないと村人たちはいう。本気でそう思っているのかどうかはわからなかった。
 暗くなると、村びとたちは朝になったら隣の村まで案内すると言いおいて、散りぢりに帰っていった。前のテントの老人が、家の残骸から掘りだしたというカーペットをもってやってきた。寝袋の下にこれを敷けといってきかない。地震でほとんどすべてのものを失い、老人の生活は文字どおりひっくり返ってしまった。それなのに老人は自分のもっとも大切なもちものをわたしたちに使えと言っている。その後すぐ老人はお茶とパンをもって現れた。断ってもどうしても聞きいれてくれないので、お返しにキャンディとビスケットをどうにか受けとってもらう。老人と息子がわたしたちのそばに座り、温かいお茶が夜の寒さをやわらげる。見あげると、宝石を散りばめたような満天の星。深い静寂のなか、アブドゥラと老人と息子のつぶやくような低い話し声のみがひびく。その光景の美しさ、すべてを失った人びとの悲しみ、そして、そんな状況にあってなお、二度と会うことはないだろうよそ者のわたしたちに何かを与えることのできるここの人びとの寛大さに、わたしはあやうく涙がこぼれそうだった。
山やまがぐるりを囲み、わたしたちがその中心にいる。もやの多いイギリスでは、これほど多くの星を見たことがない。わたしは果てしない天空の輝きを存分に見ようと、あおむけに寝ころがった。今、この下には破壊された村があり、たくさんの死者と家族を失った人びとが横たわる。それなのになんと壮大な、胸が痛くなるような輝きだろう。わたしは思った。いつか、この国に平和が訪れたら、この厳しい土地が緑でおおわれる春の季節に、息子たちを連れてこの場所に来よう。ロバを借りて、このあたりの村を順にめぐってみよう。こんなふうにあちこちの村に滞在して、村人たちと食事をともにし、お茶を飲もう。いつの日にか。