築一○○年以上の古い民家を移築して都会で暮らす。
 そんな古くて新しい住まいの在り方が最近、注目を集めています。本来なら取り壊されて、廃材となる運命にある田舎の古民家をわざわざ都会に移築までして、生活する魅力とはいったい何でしょうか。
 それはひと抱えもあるような太い大黒柱に守られた安心感かもしれません。もしくは、むき出しになった黒光りする梁の木組みの力強さや真っ白な漆喰で塗られた真壁の静謐な美しさかもしれません。いずれも現代の住宅が失ってしまったものばかりです。
 なかでも、一○○年以上の歳月をかけて囲炉裏やかまどの煤で燻された古材の風合いは、新材で建てられた住宅では決して味わうことのできないものです。これがもしプリント合板やビニールクロスといった新建材で建てられた住宅なら、どうでしょう。歳月を経ることでただ薄汚れていくだけです。一○○年以上の歴史を刻んできた古材のほのかな温もりを肌で感じながら過ごす暮らし。それは、今日では最もぜいたくなライフスタイルともいえるかもしれません。

 ほんの一○年前まではこんな話を聞いても、おそらく家を建てようと思っている人の多くは耳さえ傾けなかったことと思います。トレンディという言葉が最大の価値を持っていた当時、新しいことが善で、古いことはすべて悪でした。そんな時代にわざわざ古い民家を再生して住むことなど、誰にも想像できなかったのも無理はありません。かりに夢のマイホームは古民家の移築と語る人がいたとしても、多くの人は自分とは関係ない酔狂な人の戯れ言と片づけてしまったことでしょう。
 ところがここ数年、古民家の移築・再生がテレビや雑誌などでも頻繁に取り上げられ、住宅の新しい一ジャンルとしてにわかに話題を呼んでいます。これまでは単なる時代遅れの産物であった田舎の民家が、今度は夢のマイホームの代表格に祭り上げられているわけです。ここまで評価が大きく変わってしまったのは、どうしてでしょうか。
 ひとつには住まいの中に含まれるさまざまな化学物質により体調不良を引き起こす、いわゆるシックハウス症候群が表面化したことで、これまで盲信されてきた新建材による家づくりが見直され始めたためです。また、社会問題化した欠陥住宅の急増も、民家のように職人たちの確かな技術によって建てられた住宅の再評価につながっているようです。さらには、スクラップ&ビルドを繰り返してきた結果、建築廃材による環境破壊も深刻な問題となっています。
 つまり、戦後から高度成長期、そしてバブル期を経て、今日まで連綿と続く日本の住宅の在り方が、今大きく問われだしているといえます。そうした中で人にも自然にも優しく、心地よい住まい方の知恵や工夫で溢れた、いわば先人たちの住文化の結晶ともいえる昔ながらの民家が再評価され始めたわけです。
 とはいえ、最近まで民家が廃れていた事実も見逃してはなりません。民家が時代遅れの住宅として忘れ去られてきたのにも、やはり理由があります。それは寒さや暗さ、使い勝手の悪さといった欠点も同時に持ち合わせていたからです。ですから、やみくもに民家を礼賛するのではなく、民家の長所と短所を正確に見極める必要があります。そのうえで、現代人のライフスタイルに合った「現代の民家」として移築・再生することが大切なのです。
 昔を懐かしむだけのノスタルジーとしての古民家ではなく、今を生きる人が快適で安全な暮らしのできる新しい民家。そんな古くて新しい住居形態が、本書で提案している古民家再生住宅なのです。

 では、現実に古民家を移築・再生するにはどうしたらいいのでしょうか。大半の人は皆目見当がつかないはずです。普通に家を建てるだけでも、初めての人には戸惑うことばかりです。まして古民家の移築・再生と聞いたら、建てる前にまず尻込みしてしまう人がほとんどではないでしょうか。
 実際、何も知らないで、古民家の移築・再生を試みるのはかなり無謀な冒険といえます。小説家の服部真澄さんは「古民家」を骨董商から購入し、自宅として移築再生するまでの体験を物語仕立てにして『骨董市で家を買う』(中央公論社)という本にまとめています。その本の中では服部さんは移築・再生までの苦労や失敗をおもしろおかしく描いています。たしかに他人の物語としては楽しく読めますが、現実に自分が家を建てるとなれば、笑ってばかりはいられません。工期が遅れることも、コストが予算より大幅に上がるのも、いい勉強をしたと納得できる人はいないはずです。
 古民家の移築は、大手住宅メーカーに依頼したときのようにお手軽に建たないのは事実です。多少の労力はかかります。しかし、完成後に、それ以上の喜びと満足を与えてくれるのも確かです。そして、必要最低限の知識を持ち、きちんとした手続きを踏めば、普通の新築住宅と同じように誰にでも古民家の移築・再生は可能なのです。
 本書を読めば、古民家再生住宅が決して一部の人にだけ許された普請道楽ではなく、「理想の住まいを願う人」なら誰でも可能な"住まいへの新しい提案"であることがわかっていただけると思います。