芭蕉はどんな旅をしたのか ──「奥の細道」の経済・関所・景観

金森敦子 四八三〇円
芭蕉と曽良は『奥の細道』を、本当はどのように旅をしていたのか。歩いた距離。何を食べていたのか。お金はどうしていたのか。奥州の街道や宿場、川、人々の暮らしはどのようだったのか。本書は江戸時代の商人や役人などが書いた旅日記や古地図、『曽良旅日記』をもとに、もう一度、具体的に、芭蕉の足跡を明らかにする試み。資料性もあり、しかもスリリングな読み物。

江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く ──諸九尼の生涯
金森敦子  一九九五円
京から松島へ。芭蕉の後をたどり「奥の細道」を歩きつづけた女性がいた。その名を諸九といい、庄屋の嫁だったが、旅の俳諧師・湖白と欠落ち。その後プロの俳諧師として自立。晩年に奥の細道へ。遺された、旅日記、句をもとに、波乱に満ちた幻の俳人の生涯が蘇る。第47回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

お葉というモデルがいた
金森敦子  二三四五円
竹久夢二のモデルとして名高いお葉は、責め絵画家・伊藤晴雨と洋画家・藤島武二のモデルでもあった。まったくタイプの違う画家に、それぞれ多大なインスピレーションをあたえたお葉。画家たちは彼女に何を見たのか? 画家とモデルの抜き差しならぬ関係を、膨大な資料によって読みとき、大正を生きた希有なモデルの生涯をあきらかにする。

怪物科学者の時代
田中聡 二四一五円
明治時代以降、近代科学に対し、古来からの文化との融合を図った人々がいた。佐田介石。井上円了。桜沢如一。福来友吉。寺田寅彦。橋田邦彦。南方熊楠。稲垣足穂……。彼らの一見怪しくとも大まじめな研究は、その時代の切実な知的闘争であり、その課題は近代を超えられぬ私たちのものでもある。科学のフォークロアとしての異色科学者列伝。

ニッポン秘境館の謎
田中聡 二四一五円
「秘境」という何とも胸をワクワクさせる響き──その懐かしくも妖しいイメージは高度成長期に多く語られ、雑誌や本で大ブームを巻き起こした。伊勢、志摩、熱海の秘宝館、目黒の寄生虫館、秩父珍石館、ムー大陸博物館……。日本人にとって秘境とは何なのか。日本のなかの秘境的空間を探り、なぜ秘境が人を引きつけるのかを論じた、異色の大研究。

人生は博覧会 日本ランカイ屋列伝
橋爪紳也 二一〇〇円
明治時代にはじまり戦後も続いた博覧会ブーム。その博覧会はたくさん民間ディベロッパーに支えられて、彼らは知恵と技を競って様々な催しを成功させた。日本で初めてアクロバット飛行の興行をした櫛引弓人。巨大な大仏の見せ物を出品した高村光雲。金沢に「宝塚」を創ろうとした平沢嘉太郎。大きな夢を抱きながら近代を生きたランカイ屋たちの人生の物語。

「歩く学問」の達人
中川六平 一九九五円
鶴見良行、山折哲雄、長井勝一、小沢昭一、森まゆみ、野田知佑……。既成の、机上の学問を追究するのではなく、独自の方法で、自らの民間学を築いた人たち。お仕着せを嫌い、誇りを持って行動し、新しい学問を着実に獲得してきた15人にスポットをあて、強烈な個性、きらめく才能の源泉をさぐり、明かした、今の時代に一石を投じる一冊。

橋浦泰雄伝 ──柳田学の大いなる伴走者

鶴見太郎 二七三〇円
表題の橋浦泰雄とは? 柳田国男の高弟であり、柳田学という今につながる学問を組織した人物である。生協協同組合の創設者でもある。学歴は小学校卒。独学で文学や民俗学を学び、作家・尾崎翠や有島武郎との出会い、柳田国男との交流などを通じ、暮らしの中に役立つ民俗学を創り出した。歴史に埋もれた民間学者を、新進気鋭な歴史学者が追跡していく。