あとがき

 前著、『撮影監督ってなんだ?』が好評のうちに品切れとなり、「続編は出ないのか」という声も二、三のかたから出ていたので、前にお世話になった晶文社の疇津真砂子さんに僕の方から「続編、どうでしょうか?」と売り込んだ。そのころ『ラヂオの時間』が終わり、撮影の仕事が全く無かったので、そんなことでもして時を稼ごうとしたのである。
 ところが、仕事が無いときには元気も無く、原稿がちっともはかどらない。そのうち、『ナビィの恋』のロケで沖縄の離島に行くことになり、まじめに古いワープロも持って行ったのであるが、それが発光式の液晶でないため、画面が劣化で暗くなっていて、民宿の明るい部屋では文字が読めないのである。夜は、照明の上保さん主催の二階の「上バー」と音楽の磯田さん主催の一階の「下バー」に交互に呼び出され、まあ、そのー・・・・・・。
 そしてまた失業時代が続き、歳が明けて、頼みの綱の疇津さんは他社に移り、担当編集は津々見潤子さんに引き継がれた。
 全ての貯金を使い果たして毎日オロオロしているとき、松竹から電話があり、大森一樹監督の『日本沈没』の準備をすることになった。と言っても、8億という製作資金の目途が立っていなかったため、六ヶ月の間、結構なギャラをもらいながら、たいした動きもできず、生活の不安が無くて時間があるという幸せな状態になった。
 ここに来て、ようやく「書かねば」という気が起きて、薄れかけた記憶を手繰り寄せながら、数年前の椎名誠監督の『あひるのうたがきこえてくるよ。』から本腰を入れて書き始めた。
 次の『高校教師』がなかなか進まないので、『シュート!』も飛び越して、『白い馬』を書くことにした。これは椎名さんの著作『馬追い旅日記』が、ずいぶんと頭の整理に役立った。
 当初の計画では椎名さんの『あひる・・・』から最新作だった三谷幸喜さんの『ラヂオの時間』までを網羅して『シーナ映画からコーキ映画まで』という題名を考えていたのだが、モタモタしているうちに4年も経って、次の「コーキ映画」がクランクインすることになった。編集担当は優しい津々見さんから催促の厳しい篠田里香さんに代わり、ワープロも弟からもらった中古パソコンに代わり、そして去年から長男に買ってもらった新しいノートパソコンに代わった。
 で、篠田さんと相談して、題名の「から」を「と」に変え、ちょっと締め切りを延ばしてもらって『みんなのいえ』を書き加えることにしたのだ。サラ金の借り換えみたいな感じもするが、『みんなのいえ』は現在進行形だったので、撮影日記という形でダラダラと書いてしまったのである。
 負け惜しみを言うと、シーナ映画とコーキ映画に絞ったのは、これはこれで良かったかなとも思う。ま、有名人の力を借りて、本の売上を伸ばそうという経済的謀略的不純的動機も無かったとは言わないけれど、椎名誠さんと三谷幸喜さんの共通項は、いわゆる異業種監督で、確固たる業績を上げている他分野から映画監督になった人である。ということは、僕達も映画隠語ではなく、標準語で語ることが必要となり、分からないことがあれば説明しなければならない。「映画界の常識」は「一般社会の非常識」なのだから、それはとりもなおさず自分達を見つめなおす作業でもあり、映画ムラ社会以外の読者にとってもそれは好都合なことなのである。
 このお二人を見ていて思うのだ。しっかりとした自分の世界を持っている大きい人間だな、と。だからこそ、周りのスタッフの意見に耳を貸すことも出来、それを取り込んだとしても自分の世界が消えることがない。映画監督として一番重要な資質を備えていると思えるのだ。
 それから、不思議なのは、お二人とも、スタッフにひとこと何か言うと、言われた人はコロッと彼らの味方になってしまう。僕がひとこと言うと、コロッと敵になってしまうのとは大違いなのである。最近は反省して、言葉を選んでいるつもりなのだが、金子修介監督には『クロスファイア』のとき、「高間さんの言葉は地獄から響いてくるようだ」と言われてしまった。
 だから、第二、第三の椎名誠、三谷幸喜かもしれないあなた。スタッフの人選さえ間違わなければ、自分の世界の映画が撮れるはずです。そして、間違わなかった人選のスタッフが多くなってくれることを願っています。
「高間ちゃんの書いてることを真似して、自分の専売特許みたいに言ってる奴がいるから、あまり書かない方がいいよ」と忠告してくれる友人もいる。でも、いいんです。それで多少なりとも日本映画の映像が良くなってくれれば。僕だって、誰かの仕事をヒントにしているわけですし。
 今、残念に思っていることは、ここ数年、椎名さんが映画を撮らなくなってしまったことだ。『白い馬』の次には『中国の鳥人』の準備が始まったのだが、それは三池監崇史督の手に委ねられ、椎名さんは『水域』のストーリーも織り込んだ『武装島田倉庫』の映画化を計画していた。ところが、原作を売ったのではないかと思った人がいたほどストーリーが似ているハリウッド映画が出たのである。『ウォーターワールド』だ。椎名さんはかなりのショックを受けていた。
 最後の映画は『遠野灘鮫腹海岸(とおのなださめはらかいがん)』という短篇で、和田誠監督の『ガクの絵本』、沢野ひとし監督のアニメ『スイカを買いに』と一緒にコンバットツアーをした。僕はそのメイキングを作ったのだが、去年、ホネ・フィルムも閉鎖してしまった。
 椎名さんはよく「僕は10年、サラリーマンやって、10年、モノ書きやりましたから、10年、映画やろうと思ってます」と言っていたが、『うみ・そら・さんごのいいつたえ』から数えても、もうその10年が過ぎてしまった。
 三谷さんも、今のところ具体的な次回作の予定は無いが、『みんなのいえ』をシネスコで撮りたがっていた僕に気を使ってか、「次はシネスコに相応しい本を書きますから」と言ってくれている。