(本文より)

 お札を模写するとして、一枚だけだと、いわゆる芸術作品になりかねない、という感じでね。お札の構造そのものを作品化するには…いまの言葉でいうとそういうふうにいえるんだけどね。やっぱり印刷して、複数形態というか、印刷ってのはオリジナルじゃなくて増殖できるっていうか、増殖の基礎みたいなもんですよね。それをオブジェ自体が体現してなきゃいけないなと思って。 


 千円札裁判というのは、ある種の不敬罪だろうね。お金の権威に対する不敬罪だと思うんだ。猥褻罪とも似てるのね。当然あるものを「作って見せてはいけない」というわけでしょう。作って持っていてもいけないというんだからね。世の中には法的に禁断の場所って、もちろんある。たとえば以前だったらヘアとかセックスの世界って禁断の場所だった、表現するには。いまだって性器そのものは自粛しているでしょう。そういうようなものが、もっと見えない形であるわけです。あまりに近くて、隠れてるのが千円札だと思う。 


 小学校に入るまで、「坊やちゃん」といわれていたんです。そのせいもあるのかな、おねしょがいつまでもぐじゅぐじゅ……。だいたい、うちは男が弱いんですよ。弱虫で神経質。ぼくも兄貴もわりと泣き虫で、そういう傾向だったみたい。男がね、暴力が振るえない伝統っていう(笑)、「いい人ね」といわれるタイプですよ。ダメですね。
 すぐ上の三つ違いの姉とぼくは、よくケンカしていて、いつも負けてた。でも、一度勝ったんです。そのころ、男は坊主だけど女は髪の毛が長いでしょ。苦しまぎれに引っ張ったら「痛い!」といって泣き出してね、「オッ、この手があったんだ」と思ってね(笑)。でも、その一回だけ。あとはまた頭脳でやられていたんだろうな。


 「老人力」も、別にわざわざ手抜きしたわけじゃないけど、自然に、成るにまかせたっていうかな。若いころは頭を過信していたからね。別にいい頭じゃないけど、頭で考えてこそいい物ができると思っていた。でも世の中って複雑系だからね。頭で全部考えられるほど単純じゃない。だから全部を自分の頭で仕切るんじゃなくて、流れにふとまかせるというのかな。もっと前だったら、いろいろ細工しちゃってると思う。大人になりました(笑)。