人は見かけによらない
l'abito non fa il monaco

 ウィリアム・ワイラーの『ローマの休日』がどんなに時を経ても色褪せることなく(もともとモノクロだけど)、今もあの、名作だけの持つかがやきで銀幕を飾ることができるのは、もちろんなによりもオードリー・ヘップバーンのくっきりと見開かれた美しい瞳からあふれる光のおかげだ。ただ、おうおうにして陳腐でアナクロニスティックな話になりがちな異国を舞台にしたラブストーリーの範疇にあって、このすがすがしい名作は的確に「永遠の都」の特性を捉えていた。まあ、永遠なら変わらなくたっておかしかないよ、といえばそうかもしれないが、でも、本当にローマでは年月とともに通りや街角が多少様変わりしようとも、街そのものの雰囲気はほとんど変わらない。そしてそれはたんじゅんに、街中に遺跡がごろごろしているから、というわけだけでもないのだ。ちょうどグレゴリー・ペックの新聞記者とヘップバーンの王女がそうしたように(そして『親愛なる日記』でのナンニ・モレッティのように)ヴェスパでまわるとなんとも心地よく愉しいローマの
街中には、おなじみで、ならではのゆったりとした気分がある。そもそもこの街でまじめに働くなんて気にはあんまりなれないし、そう、ローマはいつも休日気分なのだ。
 だからローマという街は、のんきな学生の身分や気分でいるにはちょうどいい。

 事実上大学の四年目をちょっとほっぽってローマにやって来てしばらくして当時大変お世話になっていた或る日本の夫婦のお宅からヴァチカンの寮(というふうにぼくらは呼んでいた)の一室に移ると、日々、このおかしな街のいろいろな側面が次々と訪ねてくるようになった。寮にはローマ大学の学生や世界各国からの留学生やなぜか地元の銀行員やみんなが旧ソ連のスパイだと怪しんでいた連中や、たぶん普通の会社員もいたのだと思うが、だいたいみんなどこか変だった。でも変なことはローマではちっともおかしくない。assurdo というのは文語的にいえば「不条理な」だけど、ふつうにいえば「とんでもない」とか「わけがわからない」といったところで、ローマにはそういうassurdo な話がごろごろしているのである。下町のトラステヴェレという場所柄もあったのかもしれないが、そればかりでもないと思う。

 さて、l'abito non fa il monacoは「僧服が僧侶を作るわけではない」つまり「僧服を着ていれば僧侶だというわけじゃない」もしくは「人は見かけによらぬもの」くらいの意味だ。
 だけど、いつだったかの相撲中継で、たしか貴の花が横綱になったことに関してどこかの親方が「地位が人を作る」というコメントを発していた。たぶんそれは、誰かが(ないし誰でも)それなりの地位に就けばそれに応じた人格になる、ということで、ということは、袈裟が坊主を作る、みたいなことだし、なんだか「馬子にも衣装」に人格的内容のおまけまでつけちゃいました、みたいな話だ。でも、それって本当だろうか? たとえば考えない葦でも総理大臣とかになればそれ相応の人になるんだろうか???

 やはりいつだったかその通称ポンテ・ロットの寮生たちでサッカーをする機会があった。本式ならcalcioというところだが、野球でいう草野球みたいな感じで遊ぶサッカーはcalcettoなんて呼ばれてかわいい。もともとサッカーなんて小学校以来かもしれない日本人のまざったゲームとも言えない代物なのだ。だから試合中うっかり大声で「ポルカ・マドンナ」なんて叫んでしまったりして、同寮のイタリア人カトリック教徒を慌てさせたりしてしまう。そりゃまあたしかに聖母をブタ呼ばわりするわけだから、神父や修道女の徘徊する寮内で口走るのはやめておくに越したことはないけれど、この、向かいの部屋にいたクラウディオという銀行務めの男も、素行や性向はけっしてほめられたものではなかったから、あれでキリスト教信者がつとまるんだなあ、とは思ったものだ。
 いずれにせよあれだけ絶大な力を持つキリスト教だから反体制・反権力意識の強いイタリア人が罵詈の標的に選ぶのはいわば自然の成り行きで、神様をけなす「ポルコ・ディオ」なんていうのは特にローマあたりではよく耳にする。「ブタ」の意味の「ポルコ/カ」は他にジューダ(ユダ)、ヴァッカ(雌牛)、カーネ(犬)、モンド(世界)、ミゼーリア(悲惨)とカップリングで使われるが、神様の「ディオ」のほうはさらにカーネ(イヌ)とかボイア(死神)をつけて毒づかれる。ただ、さして悪気があるわけじゃない「ポルコ・ディオ」と較べるとヘヴィーなので、いつでも来い、という文句ではない(つまり、誰もが口にする言葉、というわけではないし、どちらかというと、神様に毒づくのも、ヴァチカンのお膝元だからこそ愉快! というニュアンスもあるかもしれない)。
 実際、全知全能なのかおおいに怪しいがとりあえず恐ろしい、真っ白な髭を生やしてなにしろひどく年老いた、ほぼ全世界的な神様のイメージはどうやらイタリアでも変わらないようで、そんなおっかない存在とあっては、誰からも愛されているというわけではない。マフィアとも仲の良いキリスト教民主党なんてものが生まれるはるか昔からカトリックは政治と結託していて、法王が絶大な権力を握っていて、さらにその上に神様がいるとあっては、無理もない話だ。けれど、聖母マリアやキリストは別で、母なる存在への甘えでマドンナに悪態をついてみたりはしても、少なくともキリストに「ポルコ」をつけて罵るのは、聞いたことがない。ただたんじゅんに「クリスト!」つまり、「なんてこった!」みたいに驚愕することはあっても(同じような調子で「いや、まいったな」風の「ウェ・ラ・マドンナ」はミラノ流)。
 だから学生たちが修道女を縁起の悪いもののように言うこともあるし、修道衣を着て神に仕えているという自分たちと同じ人間が煙たかったり、なんだかおかしなことを言っていたりするのは、あまり気分が良くないというのはわかる気はする。イタリアでは行く手を黒猫が横切ると縁起が悪いというので、猫が通りを渡りきる前にこっちが通り抜けなければならないのだけれど(でなければ踵を返して道を変える人間すらいる)、黒い服に身を包んだ修道女も似たようなイメージなのだろうか。
 いや、それよりもそのヴァチカンが経営して、気のいい太った修道女とちょっと神経質な痩せた修道女が往き来するポンテ・ロットで出くわした、今も忘れられない光景がある。
いつものように天気のローマのある日のこと、これから出かけるところだったか、どこからか帰ってきたところだったか、重く大きな扉を押して入る門から続く廊下で、日本にも来たことのある、割腹は良いが、ある種の窮屈な印象を与えるメガネをかけた司教に話しかけられていささか緊張していると、昼間なのでなかば開いたままの大扉から一人の男が入ってきた。彼は入ってくるとすぐにきちんとした身なりの司教様を見つけ、お客としてはこれ以上望むべくもないはずのこの人間相手に自分の仕事にとりかかろうとした。彼のごくごくささやかな希望といえば、ほんの何かのお恵みを意味していただけなのに、この割腹の良い司教は日本人があっけにとられるほど狼狽し、大慌てで、まるで交通整理でもするかのように両手を派手に宙に舞わせ、門番の係だった学生にこの男を、早い話が追っ払わせた。
 そして、それからそそくさと、まるで見てはいけないものでも見てしまったかのように、重く大きな扉を閉めさせた。
「?」
 もっとも、見てはいけないものを見てしまったのかもしれない、という思いは、意味は多少違っていたかもしれないけれど、その場に居合わせた日本人学生も同じだった。
 なるほど、そういうことか。