バイアグラは誰のため?


 2000年ゴールデンウイーク明け、佐野史郎・石川真希夫妻が抱き合っている写真が新聞の一面広告を飾った。それはもう、ジャ〜ン!! って感じで目に飛び込んできた。佐野史郎の腕の中、石川真希さんが彼に向かってほほえみかけている。なぜか水色のリボンで包まれながら。
 広告には、「勇気が二人を結ぶ」「あきらめないこともパートナーへの愛情です」そんなコピーとともに、ED(Erectile Dysfunction:勃起障害)についての説明がある。商品の広告ではない。とは言っても、ファイザーという会社の名前と勃起障害という言葉で「バイアグラ」を思い浮かべる人は多かったのでは?
 バイアグラのスピード認可は99年に問題になったけれど、ものすごい早さで、今度は保険適用が行われようとしている。このキャンペーンは、保険適用に向けて、EDを認知させるためのものらしい。
 ファイザー製薬はこの広告についてこうコメントしている。(本社ホームページより)
 「EDが多くの場合、糖尿病や高血圧といった基礎疾患、ストレス、また、過度の飲酒といった生活習慣にともなって起きる病気であること、および、その治療については医師への相談が重要であることを伝える内容となっています」
 インポテンツは精神的なこと、と考えられてきたので、医師に相談する男性がとても少ない。でもインポも立派な病気。だからきちんとお医者さんに相談してね! というわけ。

 ずいぶん前に親しくしていたオトコは30代前半だったけど、完全なインポだった。私たちは、半年間くらい、毎日のようにしゃべったり、ご飯を食べたりしていたけれど、「挿入」したことは一度もなかった。彼は私を口で、手で一生懸命気持ちよくさせようとしてくれ、私は私で彼の身体を愛撫したけれど、それでも、一度も、堅くならなかった。
 「とても疲れていて、いつも、ダメなんだ。ここ数年、セックスがない」
 外から戻ってくると必ず手を10分くらい洗っている神経質な人だった(たぶんそれが原因だ)。私は、といえば、イチャイチャしているのが楽しく、もともと「勃つ」という期待をしていないので、彼とのセックスはそういうもんだ、というような割り切り方をしていた。勃起しないことが、あまり気にならなかったのだ。けれど、彼は違った。焦っていた。
 「あれ? あれ? なんだか、勃ちそう!」
 夜中、そんな風に言われ起こされたことがある。
 「今なら、入るかも!」
 と覆い被さられたこともある。その時私は眠い目をこすりながら、彼の勢いに押されてしまったけれど、やっぱり、完全には勃起せず、私の膣に入ることはできなかった。
 「勃起しないことを、気にしているの?」と一度聞いたことがある。
 「そりゃあ、そうだよ。キミを満足させられないのだから」彼は悲しい目をして言った。
 「そうかなぁ、私は、いつも気持ちよくさせてもらってるから、なんだか悪いな、って思ってるくらいなんだけど」
 と心から思っていることを言ったのに、
 「慰めてくれなくてもいいんだよ」
 と憮然とした。
 彼は「自分が気持ちよくならない」ことが悲しいのではなく、「私を自分のペニスで満足させられない」ことが悲しかったのだろう。何度も「私は満足よ!」と言っても、彼は信じなかった。「ペニスがなくちゃ、ダメなんだ!」と思いこんでいた。
 99年。驚異的なスピードで認可されたバイアグラを知ったとき、彼の顔を思い出した。あのときもしバイアグラがあったなら、私は彼にそれを勧めただろうか? 彼は喜んで飛びついただろうか?

 「ペニスが勃つとね、オトコとしての自信が生まれるんですよ」
 性科学者のキム・ミョンガンさんはそんな風に言う。
 「オトコとしての自信って何ですか?」
 「自分のペニスが相手に入ってそれで悦んでくれる、ということ。自尊心をくすぐられるんですね。若い頃、性欲がとても高まるときに、ペニスに生きるエネルギーのようなものを感じることがあるんですね。もう一つの見えない自分のようなものを感じるんです。だからこそ、ペニスが勃たなくなることに、生物としての自分の幕引きみたいなのを感じちゃう。バイアグラが売れたのは、もう一度あの『強い生きるエネルギー』を感じたいオジサンが多かったからなんじゃないですかね」
 「なるほどねぇ」
 「だいたい、オトコって、自分のセックスをコントロールできないんですよ。若い頃は早漏だったらどうしよう、とか悩む。年をとれば、インポになったらどうしよう、と辛くなる。だから、薬を飲んだら絶対勃起できる、なんて薬は、まあ、ものすごく画期的だ! と飛びついたんでしょうね」
 キムさんの話は分かりやすい。オトコにとって、どれだけオチンチンが大切なのか、オチンチンを持たない私でも分かる。というよりも、聞いているうちに、思わずオチンチンに感情移入したくなるほど、オチンチンがいかにオトコの身体と心にとって重要なものかをたくみに語ってくれる。
 ただねェ、そうはいってもねェ、佐野史郎・石川真希夫妻の広告に漂う不気味さは消えない。インポを病気として認知しよう、という動きには、大きなしこりが残る。
 たとえばインポが病気だとして、それは70代、80代のオトコにとっても「病」なのだろうか? ペニスの機能が何歳で衰えるかは、人によってまったく違うから一概には言えないけれど(体力、視力、聴力に個人差があるように、勃起力も個人差があるというわけ)、若い時代のように、数十分、勃起し続けることは、やはり老年のオトコには無理。それは、人間の自然の衰えだもの。そこで登場、バイアグラ。老いを克服し、力強いペニスを老人に再び与えるバイアグラは、キムさんの言うように夢の若返り薬に違いない。じゃあ、ケチらないで、高いお金出せよ、と思っちゃうんだよな。
 まったくペニスは図々しい。バイアグラを手に入れるオトコの妻、パートナーもそれなりに年をとり、膣の分泌液も少なくなり、濡れづらくなっているときに、いきなり夫のペニスが20代のようになったところで、本当に嬉しい? オトコは妻のためではなく、若い恋人や風俗でセックスをするかもしれない。そうだとしても、「病気」という悲惨さを演じ、20代に戻ることができるオトコに対して、オンナの性はやっぱり置き去りになるんでしょうか? あああ。
 高齢の夫婦じゃなくてもいい。たとえば、佐野史郎・石川真希夫妻は40代だけど、キム・ミョンガンさんに言わせれば「40代の夫婦なんて、5回に1回勃起すればいい方よ」ということらしい。長い間つきあっているカップルであればなおのこと。だけど彼らは毎回毎回、勃起しなくてはいけない、と、水色のリボンに包まれ私たちにそんなメッセージを送っているかのようだ。
 いったい、誰のためのバイアグラ?
 愛のため、パートナーのため、というけれど、堅く勃起するペニスを望むのは、いったい誰なの?
 前述の彼のような深刻なインポテンスに悩む人にとってバイアグラは朗報だったかもしれない。しかし、バイアグラの多くのニーズは、
 「若いころの、あの力強さをもう一度……」
 なんてものじゃないだろうか? そしてその背景にあるのは、正しいセックスは「20代のような、激しく、そそり立つ、勃起した、持続力のあるペニス」のイメージ。
 何から何まで、バイアグラはオトコだけの視線しかないようなのである。それなのに、「妻も愛しているならば、夫を理解して」なんて口調で、「愛」という大義名分を背負って、またオンナが我慢しなくちゃいけないのォ?
 ファイザーのあの広告は、なにか恐ろしいことが始まる前夜のような気分に、私をさせた。

 ところでファイザーでは次のようなニュース・リリースを自社ホームページで紹介している。

 「ファイザー製薬は、ED治療薬の保険適応に対して医師がどのような考えをもっているかを調査しました。その結果、87%の医師がED治療について保険適応を希望していることが明らかになりました。 この調査は、全国の泌尿器科医104名、内科医114名を対象に、AC Nielsen社が2000年1月に郵送調査で実施したものです。
 調査結果の概要は次の通りです。
・勃起不全治療が、診断・検査・手術・投薬など全て健康保険でカバーされていない現状に、医師の9割近くが納得していないことが明らかになった。
・ED治療薬の保険適応に関しては、全て保険適応とすべき(20%)、糖尿病、脊髄損傷、挙児希望(子どもが欲しい)などに限定して保険適応とすべき(54%)という回答を併せると74%の医師が健康保険での勃起不全治療を希望していた。また、診察や検査の費用だけは健康保険でカバーすべきという意見も13%あった。
・これに対し、全て自費診療でよいと回答した医師は14%に過ぎず、大半の医師が勃起不全治療に対する何らかの保険適応を求めていることが明らかになった。」(2000年4月8日)

 ここにも記してあるように、バイアグラは近々保険適用されるんでしょう。
 若くいること、強くあること。セックスにおいてもそんな価値が補強・再生産され、オトコたちは、20代のペニスを取り戻し、充血したペニスでまた精子をばらまこうとする。
 だけど、それは本当にオンナが望んでいることかなぁ?
 オトコはペニスを勃たせ、何を得られるの?
 インポな人々に必要なのはバイアグラではなく、年齢に応じたセックスのイメージなのだと思う。ペニスが勃たなくなっても、抱きあうことができる(抱きあわなくてもいいけど)、二人のイメージじゃないのかなぁ。あああ、それなのにまったく、オチンチンばっかりだ。勃起させ、挿入させ、オトコの自信を取り戻す。オンナの身体を使って、オトコとしての沽券を取り戻そうとすることしか考えていないオトコのための、バイアグラ。ケチらず、高いお金出して買いなさい。
 もし、バイアグラを保険適用するというのなら、自然に老いていくなか、ガタがくる性能力や、膣の機能が衰えたりするオンナのための薬を、ぜひぜひ開発してほしい。たとえば、私の売ってるバイブを膣機能障害を手助けする道具として認可してほしい。ローションを膣潤滑を助ける薬として保健適用してほしい。だって、不公平なんだもん。