不幸なアウグステさん、あなたは、あなたと同時代の人々がどんなことを引き起こしたのか想像もつかないでしょう。あなたがた(18世紀と19世紀の間の一握りの人々)が「愛」――もしくは、ヨーロッパで今日までその言葉の下に理解されていることと言ったほうがよいかもしれませんが――を発明したのだと言っても過言ではないでしょう。なぜなら、それより以前、いったいそれはどういうものだったのでしょうか。結婚させられ、良くも悪しくも夫婦となり、せっせと働き、子供を生み、育て、不幸だろうが幸福だろうが、一生、訪れる運命を受け入れるだけでした。それから、かなり遅くなってからようやくあなたたちは、出産、家事労働、家計以外のことをもっと手に入れたいと考え始めたのです。こうして自分の人生を、この点でも引き受けることができるかように。きわめて危険で、重大な結果を伴う考えです。等身大の“わたし”そして“あなた”。心と身体、そこから小さな無限が生まれるはずでした。それは以前の世代がおよそ夢みることができなかった強さであり、期待であり、幸福への欲求でした。そして同時に、相互の過度な要求、まったく新しい形の不幸が生じたのです。失望はあなたちにのユートピアがもつ裏面でした。そしてあなたちが新たに了承したことが、両性間の古くからの闘いにも新たな、急激な転回を与えたのでした。
〔……〕あなたの波瀾にとんだ物語が予測のつかない文学の手本になり、実際、ひな型になったこと、またあなたの愛の闘いが無数のヴァリエーションとなって今日までわれわれの劇場を充たしていることは、その結果のほんのささいな一部です。あなたがそれよりはるかに信じられないのは、アウグステさん、あなたの話が日常茶飯事になってしまっていることでしょう。無数の繰り返しのなかで平凡で、ありふれた、陳腐なものになってしまいましたが、それはまた百倍もの苦しみの根源にもなったのです。

「エンツェンスベルガーのあとがき」より