製陶王国をきずいた父と子 大倉孫兵衛と大倉和親
砂川幸雄 一八九〇円
日本経済の地盤沈下がいわれるなか、注目を浴びている経営者がいる。衛生陶器のTOTO。タイルのINAX。碍子の日本ガイシ。プラグの日本特殊陶業。洋食器のノリタケ。高級磁器の大倉陶園。……これらの企業を創立し、世界のトッ プブランドに育てあげた、大倉孫兵衛とその長男大倉和親である。明治・大正・昭和の三代を生きた、実業家父子の気骨ある生涯を描く出色の評伝。

建築家吉田五十八

砂川幸雄 二九四〇円
若い建築家たちがこぞって近代建築に向かって走りだした昭和初期、吉田五十八はただひとり日本建築の革新を志した。以後、一貫して西洋の合理性と日本的美意識の調和を探究、実践する。吉屋信子邸、料亭新喜楽、大和文華館、大阪ロイヤルホテル、歌舞伎座など、数々の仕事を紹介しつつ、「現代数奇屋」の創始者の七十九年の生涯を描いた、はじめての評伝。

内田魯庵山脈 「失われた日本人」発掘
山口昌男 六九三〇円
埋もれていた内田魯庵の小篇に、失われた知の原郷が隠されていた──。近代日本の諸学、人類学、考古学、民俗学、美術史……は、学校のようなタテ型でない趣味や遊びに根ざした市井の自由なネットワークに芽吹き、魯庵はその象徴的存在だった。本書は、魯庵を手がかりに、近代日本の知の最良の部分と、粋な日本人たちを壮大な規模で掘り起こす、歴史人類学の達成である。

ベジタリアン宮沢賢治
鶴田静 二三一〇円
「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」(「雨ニモマケズ」より)──宮沢賢治はベジタリアンだった。地球とそこに生きるすべての生き物への愛をつらぬいた、ベジタリアンだった。いま地球規模の食糧問題と、核や化学物質による環境汚染の時代を生きのびるために、賢治の生涯とその作品世界をたどりなおし、「わが友宮沢賢治」をあざやかによみがえらせる、書き下ろし評論。

鳥を描き続けた男 鳥類画家小林重三
国松俊英 二四四七円
大正、昭和と六十年にわたって、ひたすら鳥の絵を描き続け、その絵はいまも鳥を愛する人々を魅きつけてやまない。忘れられた鳥類画家の生涯を掘り起こし、日本の鳥学をきずいた人びとの情熱をよみがえらせる、興趣あふれる伝記。「小林の生涯に関心を持つ人ばかりでなく、日本の鳥学の黎明期を知りたい人にも役に立つ本である」(『野鳥』評)

花森安治の編集室
唐澤平吉 二二〇五円
戦後日本を代表する雑誌『暮しの手帖』。編集長は極め付きの頑固者だった。商品テストを発明。斬新なデザイン感覚。自在な文章術──。往年の編集部員が内側から語る花森安治の伝説と素顔。「死後十九年の歳月を経て彫り抜いた師の像。弟子の心根のいじらしさに泣いた」(増田れい子氏評)「矛盾と体臭まで描きこんだ」(森まゆみ氏評)

江戸の女俳諧師「奥の細道」を行く 諸九尼の生涯

金森敦子 一九九五円
京から松島へ。芭蕉の後をたどり「奥の細道」を歩きつづけた女性がいた。遺された紀行から幻の俳人がよみがえる。諸九尼は庄屋の娘だったが、旅の俳諧師・湖白と駆け落ち。その後、俳諧師として自立、波乱にみちた生涯をおくった。「この人について、入手しやすい本がでてくれることを切望していたので、実に嬉しい」(朝日新聞・北村薫氏評)

お葉というモデルがいた 夢二、晴雨、武二が描いた女
金森敦子 二三四五円
竹久夢二のモデルとして名高いお葉は、責め絵画家・伊藤晴雨と洋画家・藤島武二のモデルでもあった。まったくタイプの違う画家にそれぞれ多大なインスピレーションをあたえたお葉。大正という時代を生きた希有なモデルの生涯を描く。「画家とモデルの関係式の面白さ」(図書新聞評)「よく調べ読み込まれた女性による女性の記録」(週刊ポスト評)

浅草最終出口 浅草芸人・深見千三郎伝
伊藤精介 二一四一円
永井荷風の愛した戦前の浅草。ストリップブームに湧く昭和二十年代の浅草。渥美清、萩本欣一、ビートたけしをはじめ、すぐれた喜劇人を次々と育てた浅草。……うつりゆく時代の変転を背景に、浅草でなければ生きられなかった一人の芸人の生涯を綿密に追跡、浅草という土地の神話をつむぎだした、気鋭の著者による力作ノンフィクション。

現代の職人
石山修武 写真・藤塚光政  三八七三円
建築家、デザイナー、技術者、俳優、ディレクター、編集者、酒場の主……。便宜上さまざまに呼ばれていても、その仕事にどこか一点「職人」と呼ばざるをえないキラメキがあれば、それは職人だ。有名無名を問わず、モノを作ることの楽しみをきわめた59人をその仕事場に訪ね、大量生産の時代を切り裂く生き方を縦横に語らしめたエッセイ。

*表記の定価は2001年2月現在のものです。定価、仕様は予告なく変更する場合があります。