小さな雑誌で町づくり ──『谷根千』の冒険
森まゆみ 一九九五円
古き良き東京の面影をのこす、谷中、根津、千駄木。お金も経験もない若い母親たちが、自分の町のためにとタウン誌づくりを始めた。そして七年。歴史を掘り起こし、お祭りを盛りたて、地上げと闘う、女三人八面六臂の活躍を、痛快に書き下ろす。「これは現代への果敢なる冒険にほかなるまい。『谷根千』の女三銃士に敬礼」(小沢信男氏評)

読書休日

森まゆみ 一九九五円
本を開く、それが私の自由時間……。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない著者が綴る、書物をめぐる豊かな世界。幼い心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛誌集』、そして幸田文『台所のおと』……地域・メディア・文学・ライフスタイルなど多彩なジャングルの愛読書のなかから、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。

「歩く学問」の達人
中川六平 一九九五円
鶴見良行、山折哲雄、長井勝一、小沢昭一、森まゆみ、野田知佑……。既成の、机上の学問を追究するのではなく、独自の方法で、自らの民間学を築いた人たち。お仕着せを嫌い、誇りを持って行動し、新しい学問を着実に獲得してきた15人にスポットをあて、強烈な個性、きらめく才能の源泉をさぐり、明かした、今の時代に一石を投じる一冊。

隣人記
鶴見俊輔 二四一五円
人生を振り返ってみると、そこには多くの隣人たちがいる。小学校の同級生。アメリカで出会った哲学者。家族の人たち。そして時代を共に歩いた同伴者や先を歩いている人々。人々だけではない。書物もあり食べ物もありテレビも隣人。老いが深まるにつれ隣人はゆったりと姿を現わしてくるのだ。淡々とした年の重ね方の中ではぐくまれた死生観が聞こえてくる。

おばあさんになるなんて
神沢利子 一六八〇円
くまの子ウーフは、どこから生まれたのか? 自伝『流れのほとり』を書くきっかけは? 創作のエピソードを織りまぜながら、童話作家は、自らの人生の歩みを初めて、ゆったりと話しだした。樺太の少女時代。戦後の貧しい生活。作家としてのスタート──。創作童話(「サクラ色のワンピース」「五つのクジラのストーリー」)も収録。

独学のすすめ
谷川健一  二三四五円
南方熊楠。柳田国男。折口信夫。吉田東伍。中村十作。笹森儀助。明治から昭和にかけて、既成の知識に縛られず、誇りをもって自分の道を切りひらいた巨人たちの生きかたを、民族学の第一人者が語る。「暖かで芯の強い語り口には、読者への強い信頼が感じられる」(日刊ゲンダイ)「混迷の時代に、静かな勇気を与えてくれる一冊」(静岡新聞)

橋浦泰雄伝 ──柳田学の大いなる伴走者

鶴見太郎 二七三〇円
表題の橋浦泰雄とは? 柳田国男の高弟であり、柳田学という今につながる学問を組織した人物である。生協協同組合の創設者でもある。学歴は小学校卒。独学で文学や民俗学を学び、作家・尾崎翠や有島武郎との出会い、柳田国男との交流などを通じ、暮らしの中に役立つ民俗学を創り出した。歴史に埋もれた民間学者を、新進気鋭な歴史学者が追跡していく。

怪物科学者の時代
田中聡 二四一五円
明治時代以降、近代科学に対し、古来からの文化との融合を図った人々がいた。佐田介石。井上円了。桜沢如一。福来友吉。寺田寅彦。橋田邦彦。南方熊楠。稲垣足穂……。彼らの一見怪しくとも大まじめな研究は、その時代の切実な知的闘争であり、その課題は近代を超えられぬ私たちのものでもある。科学のフォークロアとしての異色科学者列伝。

期待と回想 上・下

鶴見俊輔 各二四一五円
「私は不良少年だった……。」戦後日本を代表する哲学者が、七十余年にわたる自らの思索の軌跡を語りあかした。父母との葛藤。ハーヴァード大学での新しい記号論の哲学運動との出会い。「思想の科学」「べ平連」などの活動。桑原武夫、丸山眞男、吉本隆明らとのエピソード。読書、漫画、編集について──。明日に開かれた対話による思索的自伝。

内田魯庵山脈──〈失われた日本人〉発掘 
山口昌男 六九三〇円
一度も流行児にはならなかったけれど、当代きっての文人だった内田魯庵(明治元〜昭和4)。学校などの縦型組織ではない、趣味や遊びに根ざす市井の自由なネットワークに近代日本の諸学(人類学・考古学・民俗学・美術史…)は芽吹き、魯庵はその象徴的存在だった。今では消えてしまった知の風景と粋な日本人達を壮大な規模で掘り起こす歴史人類学の達成。

*表記の定価は2001年1月現在のものです。定価、仕様は予告なく変更する場合があります。